椅子こん!






ことの始まりは、椅子さんが苛められていたから追いかけたこと。
 しかし──何故か気が付けば、私が空間に閉じ込められていた。
しばらくの攻防の末、自棄になり、もうとにかく帰りたいから出してほしいと、玄関に向かいながら言い出した私は、

『あなた、どうしてそんなに私に絡むの?

と聞いた。

すると彼は──ヨウは突然名乗り、自分のことを話し出した。

 《俺──いや、私はヨウ。お前と同じ、過去に対物性愛者だったことがある!
しかしそれは恋愛総合化学会の存続の圧力でなかったことにされた!》

「ああ、やっぱり学会員なんだ?」

《──そうだよ》

「だったら、対物性愛者同士、学会に抗議を──」

ヨウは私の話は聞かずに続けた。
《そしてきみは、その私と同じ道を辿ろうとしている! だからこそ、力だけではない、君にも興味を持っていた》

「辿ろうとしてない! みんながあなたと同じ思考回路みたいに言わないで!

さすがにちょっとムッとする。
 とにかく、彼はその後、なにかのきっかけで見かけた椅子さんがあれば対物性愛者の誇りを取り戻せると思って力を欲していた。らしい。

《だが、見物していてわかったよ、人間が嫌いなきみなら好きになれる! ここからちからを見せずに出ていくというのなら、付き合え! 物が、過去の恋人が無理なら、力が、手に入らないなら、せめて────》

家のなか。彼のクラスターが変異したスキダに追われ、一旦玄関から引き返したリビングに立ち竦む私に、外からの声は告げていた。外に出れば捕まえるという。

 そういえばクラスターが追いかけて来なくなったなと思ってはいた。
どうやら、先回りして玄関に待機させているようだ。
 どのみち、スキダの力が届かない空間で、椅子さんもいないから逃げるしかなかったところだ。

《お前は私の過去と同じ!
過去の私と同じものは、みんな、私と恋愛しなければならないんだよ!!》

 外からロボットが告げる、あまりに身勝手な理由。
私は打ちのめされそうになる。
そもそも意味が、わからなかった。
それに、大事なのは現在と未来だ。

《いい加減にしろ。
お前が、自分の力だというから! それならこの場所がお前のものか見せてみろ、と命・令してるんだ!
従え、拒否権はないと言っているんだが、わからないのか?》

そう、言っていたことを思い出す。
──あぁ、命令出来るわけだ。
彼は、恋愛が当たり前、周りが従って当たり前、そんな立場なのだろう。
そして、私は私物と思っている。
彼の過去、そうとしか私を捉えてないから、自分をどうしたって勝手だというのだ。

「私……ずっと、人間と恋愛をしない生き方に憧れて生きてきた……
戦って、殺して、襲い掛かる恋愛の化け物にずっと苦しみ、逃げて、必死に……今がある」

「それが、どうしたんだ」

「あなたと付き合うことは、自分を殺し、貴方のために夢を──自分で、なにかを好きになったり嫌いになる、そのための夢を、捨てなくちゃならない」

「それでいい! 俺の恋愛感情の前では、お前の憧れはゴミも同然。さぁ、」

ブチッ。
 堪忍袋の緒が切れる音がした。
私が恋愛と戦い、必死に生き抜いてきたことは、感情や化け物に縛られず自由に生きてみたいことと密接に関わる感情だ。
 その、一番理想的な憧れが、一人で自由に出歩き、自分だけの感情を自分のために持って何日も生活することだ。
生まれてからずっとかなわないそれを、
その、あまりに大きな夢を。
自分の恋愛のために捨てれば良いと言った……?

 生まれてからずっと、恋のせいで、犠牲が出て、恋のせいで、人生で大変なことがいろいろあった。
恋は、あるかもわからない妄想だ。
誰も存在を証明出来ない呪いそのもの。
それによって、いくつも大事な何かを失った。
 ほとんど争い以外恋の思い出を持たないまま、今度はこいつの過去がどうのという我が儘に付き合わせるくだらない理由──彼からすれば彼の『ために』生きろと。

 私が、ようやく少しだけ外に踏み出せたのも椅子さんが共にスキダと戦ってくれたから。
──人間の恋や怪物に苦しめられない、自由な未来を描いていいんだと、やっとそう信じられて来たところだった。
なのによりにもよって、それを否定するみたいに恋の話をした。陰湿過ぎる嫌味だ。
許せない。

「自由に誰でも好きになれて、適当に嫌いになれる、 それが認められている上級国民は、さすが。あまりにも傲慢ね!
勝手なその我が儘に、人間にすらなれない私が その自由さえない私が、ちょうどいいと!」 

よりによって私が。
スライムが死んだのも、コリゴリが死んだのも、私が戦ったのも、椅子さんが壊れたのも、みんな、みんな──スキダの、私のせい──


「うわああああああああああああああ!!」

 転がっていた包丁を握る。
きっと、ロボットに突き刺すには小さい。
けれど、私を殺すには充分。

「それなら、私の過去はなに! 
あなたに好かれる過去なら要らない! 
全部! 
あなたに好かれるあなたの過去が私なら、私は、私を奪ってやる。

──あなたから、好きなものを奪ってやる!」

 首に刃の先がゆっくり押しあてられる。
不思議と怖くはなかった。
憎しみが、悲しみが、痛みが、恐怖があれば、その先には解放があるだけだ。

《おい! 何をしているんだ!!》 

 血のにおいをかいでいると、その世界の一部になったみたいに、自分も、ここで血を流せば、溶けて、混ざって、そして、何もかも考えずに、幸せな場所に行けるような気がしないだろうか。
まやかし、なんだけど。

ふっ、と意識が揺らぎ、床に倒れる。
 また、わっかが、壁をすり抜けては何度かこちらに通過した。
《やめろおおおおお!!》
彼は何かを言っているが、中は見えてないのか、狙いが外れているのか、私に当たる気配はない。
「………………」
 リビングの床は、人の形をした真っ赤な……いや、もはや黒っぽい染みが広がり、まるで牛革の敷物のようだ。
首がヒリヒリする。
染みのある床のすぐ横に、じきに私も染みを作る。少し朦朧としてくる意識のなか、笑顔を見せる。

「……わ、たし、」

わたしね、ずっと、……が、…………って、おもってた。
でも、…………だよ。

 生温く流れ落ちていく血が脈打つのを感じる。広がる染みが、微かに、床に散らばる光のわっかのひとつに触れる。
 わっかは浮き上がり、ミルククラウンのような形を保つとくるくると回転しながら赤く染まって私の上に浮いている。

「きれい、だな……」

外で、何度か叫びと銃声が聞こえる。会話するくらいだからてっきり既に倒したと思っていたのだが、まだキライダと戦っていたようだ。

《お前が! お前がああああああ!! 魔を、遠ざけるんだぞ! スキダ、と! スキダさえあればああああああああああああ!!また、また起き上がってきやがっ……!!》



「私の、すき、は、椅子さんと、共にある……」