椅子こん!



椅子さんとロボット




 ぴちゃ、ぴちゃ、粘着質な液体の上を素足で歩く。夏場に生肉を沢山切ったような、強烈な油のにおいと、すっぱくて苦くてだけどどこか奇妙に甘いような独特のにおいが辺りに立ち込めている。
 息を吸い込むだけでふっと気が遠くなりそうなにおい。
開けたドアを閉めたくなった自分をいなすように無理やり前へと足を踏み出す。

「行ってきまーす……」

 今から私は家のなかを進んで、『評価されるだけの何か』を見つけ、それを用いてロボットと分離しなくてはいけないらしい
。なぜに個人的な思い出を、ロボットに直々に評価されなければならないのか?
そしてそれをしなくては私をいたぶる権利が与えられるのか、という思いはあるものの、今やれることがその理不尽を耐える以外に見つからない。
……ここだけ見ると、全然メリットが無い。いったいなぜ到底人生に釣り合わない個人の評価ごときのためにと思いたいのは山々だが、ここはひとまず「さっさと出て、椅子さんやみんなに会うため」と考えた方がよさそうだ。 

 我ながらにホラー映画並みの恐ろしい空間だ。この先になにがあるかを察する身としては正直いってわざわざ進みたくない。
 歩く度に、なにかが足元にまとわりつく
。誰の気配もしない。この空間の家にいたあの子たちはというと、レーザー光線によって先ほど、透明にされているため、この家に入ったところでとがめる人はいない。

 にしても。
「──真っ暗」
家のなか。
電気はついていないので周囲は真っ暗。
恐らく此処は昼間のはずなのに、夕方みたいに暗い。自宅だから電気の場所は知っているけれど、だからこそ今は《目に映る余計な情報》を増やさない方が良い気がした。ここから逃げる選択肢は無い。ロボットのクラスターがしっかりと両脇を固定しているからだ。
 手には、椅子さんのクラスターを握っている。
「…………椅子さん」
 ただの紙飛行機や人形であっても、何も言わなくても、物はいつも温かく優しい。
意識を失わないように椅子さんのことを考える。
歩く度にぴちゃ、ぴちゃ、と足が何かで濡れる。
「う……ぅ────」
目眩がする。両脇のクラスターは嬉しそうに、家の中を物色するように眺めてははしゃいだ声をあげる。
「やバーイ! 幽霊とか出てきそう」
「タタラレタラどうするー?」
「やダー、コワイコトヲ言わないでよぉ」
 ロボットのクラスターもまた、顔のない人型なのだが、スキダとかイヤダとか以外も話せるらしかった。
「心霊写真撮ってイコウ!」
「心霊写真撮ってク?」
「あの、君らさ、人ん家で心霊写真とか言わないでよ……」
 クラスターが盛り上がるが、私は特に楽しいことはない。思わず突っ込んでしまったが、クラスターは特に気にしない様子だ。えーと、確か、死体と、髪飾り……
部屋を曲がり、階段の手すりに手をかける。体が硬直する。二階に行きたくない。

「──早く早く!」
 クラスターがぐいぐい引っ張っている。
家の外のロボットのスピーカーから、時間をカウントするような声がする。

《20分経過ー! まだですかー!?》 
「まだですね」
《私物化されたくなかったら急いでくださーい! 簡単ですよー!》
独り言のつもりだったが、どうやら筒抜けなようで、返事があった。
「なぜ、こんなことをするんですか? 殺したいなら、私も透明にしたいなら、回りくどいことをしなくてもいいのに」
《あなたを殺したいとは言っていないぞ?》
──え?
あれ。てっきり、わざわざこんな逃げ場を失くすようなことをして行きたくない家の中を探させるくらいだから、私によほど個人的な恨みがあるのかと思っていた。
すでに普通の神経ではない。
 
《確かに迫害の力がほしい。とは言ったけれど、どうもまだ必死にならないようだな
力がほしいのは確かだが──
私は個人的にも貴方が好きだ。
貴方に貴方の人生の続きを書いてほしくて協力しているのかもしれない。迫害の力が生れた場所を弄れば、貴方は嫌でも従わざるを得なくなる》

────???
さすがロボット。人間とは価値基準がちがうのか。
……いや、こいつだけなのかもしれない。
そもそもその台詞は意識し合う間がらでしか効果を発揮しない。今のいままで、視野に入って無かったのだけれど。

「あの。今、何語でしたか?──よく聞き取れなくて」
 殴って帰宅した方が早いのではないか、と脳が短絡的な思考に走りかける。
いや、家だ。家だけど、そうじゃない。
早くいつもの44街に戻りたい。
あまりにそう思いすぎて、早く外に出ることを考えてしまう。
評価とかロボットに好かれるとかどうでもいい。勝手に私物化されても私はなにも、言ったわけじゃない。
ここまでして貰えるのがロボットからの評価、くらいだという、信じがたい理不尽。
 お酒を一気に飲んで上司に好かれるような雑な好かれ方。いっそ嫌いになってくれればいいのに。

 階段に足をかける。先ほど踏んで歩いたものによってぬるっとしている。
「────……」
階段の踊場には、まだなにも、ない。
わかっていても薄暗い壁が不気味に笑っているような、なにかが待っているような感じがして、背筋が寒くなる。
「…………」
クラスターは面白そうに笑い声をあげた。
「外部発信機能つかお!」
「いいよー!」
……心霊スポットに来た暇人みたいなことをしている。
「おわかりいただけるだろうかー?」

────────────────

 クラスターが騒いでいると、ロボットが彼女ら? に呼び掛けた。
《どこかに行かないように、ちゃんと見張っているか?》
「はい!」
クラスターたちははきはきと返事をしている。私は横から割り込んだ。「こんなこと、やめて。
戦いたくない──
何か、他のことだったら」
ロボットが笑う。
《他なんてないんだよ! 他の人は
殺人事件に巻き込まれて居ないんだから!! 
君からしか、奪えない!!
頼む、特別になるには必要な素材なんだ!!
 抵抗しない、というのなら、
素材に許可を出す審議を進める。話し合いをしたということに》

「嫌──そんな話し合い、しない! そんな卑怯な素材で出来たものに、なんの意味があるの?」

 むきになって叫んだ勢いで、階段に足を踏み出す。
心が張り裂けそうだった。
 けれど心が張り裂けそうな気持ちをずっと抱えると、そのうちじわりと溶けてきて、なかなか溶けない角砂糖のように、どろどろとした重たいものに変わり、全身を循環しながら一部の感覚を遮断する。
遮断された感覚になるまで、数秒待つと、一瞬だけ、何も感じない時間が生まれる。
 ゆっくりと階段をのぼっていき、もうじき踊り場に足がつくことがわかって、ほっとした瞬間に階段に座り込んだ。
「…………」
 なんだか、歩く気がしない。
もう少し、したらまた数秒、だけ、何も感じない時間が生まれるはずだ。
「さすがに疲れたな……最近ずっと動き回っていたし」

 素材にされるとか、殺されるとか、何を言われても今更あまり響かない。怖いとも感じることがない。
ずっと拘束を受けているのだから、今更脅しに使ったところでなれてしまって、ぴんと来ないのだ。
けれど、それを認めてしまえば、犯罪を許しているみたいになってしまう。
「……どうして、私に起こったことで、私が怒らなくちゃならないんだ、やだな、誰か、代わりに、怒っといてよ」

 理不尽だな、私に何か起こったところで、私が何か思わなくちゃならないなんて、誰が決めたんだろう。
悔しがれとか、悲しい顔をしろとか
、感情豊かな人ほど、他人に同じ顔をさせたがる。
今更、いつものことに悔しがるなんて感情があるわけがない。
 またか、としか思わないことばかりある。
 役場に行ったときも、ほんの少しだけ、普通の人の権利が認められるかなと思っただけで────


「椅子さん……」

 紙飛行機の形をしているそれを撫でる。木の感触が恋しい。
踊場を進んでゆっくり部屋に向かっていくにつれ、壁に刃物を突き立てたような引っ掻き傷が目立ち始める。
 動悸が激しくなり、心臓が暴れた。
慣れて──居るのは、暴言とか軽い暴力とかであってさすがに、これじゃないんだけれど。
壁にある引っ掻き傷に、やがて何かの染みが混ざってくる。
後ろに手をついたような、指の形。
横にずれていく指の跡。
 部屋の前、ドアの隙間から、何かの染みが点々と続いている。
回そうとしたドアノブに、かさついた何かの汚れがついている。
その感触を思い出して、意識がふわっと浮き上がる。

  ──他人を、好きになることはね。他人の命を、自分の一部にしてしまうから、だからね。

(…………)



 誰か、の、何かを思い出しかけたきに外で轟音がした。ロボットが痺れを切らしたらしい。
《孤独感、は迫害の疎外感は高まったかな?》
「高まらない! 私、どうでもいい相手に悔しがれない、興味が全然ない」
どうでもいいと全面に出しながら返事をすると、外からそれこそ悔しがるように唸る声が聞こえた。どうやら、マウントをとっているつもりだったらしい。

《いい加減にしろ。
お前が、自分の力だというから! それならこの場所がお前のものか見せてみろ、と命・令してるんだ!
従え、拒否権はないと言っているんだが、わからないのか?》

…………???
さっぱりわからないが、自分のもの、という言葉から、それなら自分にも理解出来れば譲ってもらえるという解釈に至ったのだろうか。



(20213/1721:59)