「修学旅行、楽しかった?」

「うん、まあ」

「私にお土産はないわけ?」

「ごめん」

「お土産話は?」

「……」


朝陽は何も言わない。

ただ思い出ばなしをすればいいだけなのに。

なぜか気まずくて、この空気を払拭するように私は勢いよく立ち上がって、フェンス向こうの園田家の敷地を踏んだ。

そして朝陽の隣に座って、生八つ橋に手を伸ばした。

私の指先が、もうあとほんの少しで生八つ橋の柔らかな皮に触れそうになった時、朝陽が口を開いた。


「僕の席だったんだ」

「……え?」


「バスの席、彼女の隣は、僕が座るはずだったんだ。

 それなのに、あいつが座ったんだ。

 じゃんけんでみんなで決めたのに。

 そこは僕が座る席だったのに、あいつが座ったんだ。

 だから僕は、彼女の前の席に座ったんだ。あいつが座るはずの席に。

 そこにしか、僕の席はないんだから」


何かの呪いでも唱えるように、朝陽はおどろおどろしい低い声を口から垂れ流す。

そんな空気に巻き込まれた私は、生八つ橋に伸ばした手を引っ込めた。


「そんな、席ぐらいで……」


「そうだよ、席ぐらいでこんな落ち込んで、バカみたいって思うでしょ。

 でも僕だって、必死なんだよ。恥ずかしいくら必死なんだよ」


朝陽の声の勢いに、思わず体がすくんだ。

人間からこんなに激しく、大きな声が出るんだと、びっくりしている。

しかも、朝陽から。


「でも、まだ付き合ってるかどうかもわかんないんでしょ?」


そう言った私の声は、かすれて震えていた。


「そんなんわかるよ。

 付き合ってなかったら、部活中に目を合わせあったりしないでしょ。

 わざわざ教室まで会いに行かないでしょ。

 バスの中で頭寄せ合って寝たりしないでしょ。

 二人はもう、付き合ってんだよ」


切なさで壊れてしまいそうな朝陽の声は、閑静な住宅街に十分響き渡った。

こんな声を荒げる朝陽を見るのは初めてだった。

こんな表情の朝陽を見るのは初めてだった。


__どうしてそんな顔するの?

 その恋の相手は、私じゃないのに。

 朝陽の隣は、私じゃなきゃダメなのに。

 そんな顔していいのは、私と恋をする時だけなのに。


息ができないほど、胸が震えていた。

半開きになった口から、短い呼吸が何度も吐き出される。

切なさと苦しさに、思わず顔がゆがむ。

体の奥底からふつふつと湧きだす感情に抗うように、両手のこぶしをぐっと握った。

だけど、抑えきれなかった。

震える体が、さっと体重移動した。

八つ橋に伸ばそうとしていた手が、出会った頃から変わらない、不格好なもさもさ頭をそっと自分の胸に抱き寄せたがった。

きゅっと力を込めた指先が、いつぶりかに触れる朝陽の感覚を、私の体の全神経を巡って伝えてくる。

それは、私の中の幼い朝陽の記憶を塗り替えていく。


__私が、いるじゃん。


そう言いたかった。

だけど、そう言っていいのかわからなかった。


__私がいるじゃん、だから、何?


どこかでそう問う自分が、その言葉をぐっと飲みこませた。