青に染まる

 僕が自分の部屋に行こうと足を踏み出しかけたとき、哀音の部屋の扉がかちゃりと控えめに開いた。小さく空いた合間から、彼が僕を見上げる。

「兄貴、話、聞いて……」

 まだ背の低い弟。あどけなさが残る顔。上目遣い。うん、これで悩殺されない方がどうかしているね。

「いいよ」

 今日もまた何かあったんだろうなと思いながら、鞄を持ったまま部屋に入った。

 部屋の中央に据えられた小さな卓袱台(ちゃぶだい)の前に落ち着くなり、哀音は僕を見てこてんと首を傾げた。

「兄貴。今日、変わった匂いつけてる?」
「香水はつけてないよ」
「知ってるよ」

 また匂いって、やっぱり哀音は犬なのか。しかし今日の変わった匂いというやつには、僕も心当たりがあった。試しに聞いてみる。

「どんな匂い?」
「ミントっぽい。ついでに言うと消臭剤っぽい」

 ただの犬じゃないな。警察犬だな。この子本当に恐ろしい。

 必要最小限の家具が置かれた殺風景な部屋はさして広くもないが、狭くもないはずだ。そこまで正確に判別できるほど匂いを漂わせている自覚はない。……自分の匂いほどわからないものはないっていうけれど。まあ疚しいことはないので、西園くんのことを話した。

「今日、後輩くんと交流する機会があってね。たぶんその子の匂いじゃないかな。花好きないい子だよ」
「……へぇ」

 哀音の目が据わっている。さて、何か怒らせるようなことを言っただろうか。後輩と楽しく過ごした放課後の話をしただけの気がするのだが……。

 哀音が醸し出す冷たい空気は、どこか幸葵くんのそれに似ていた。たぶん気のせいだと思うけれど。……と呑気に弟を観察をしていたら、哀音は卓袱台を避けて僕に抱き着いた。僕は慌てて受け止める。一歩反応が遅かったら、後ろに倒れていたところだ。弟に押し倒される兄、という絵面はなんとも情けない。