仕方なく、わたしはエプロンを巻いて階段を下りた。
店内には壁に備え付けられた棚があり、パンがずらりと並んでいる。
甘くて香ばしい匂いがいっぱいに満ちている。
食パン、あんぱん、クリームパン、カレーパン、惣菜パン、デニッシュ、クロワッサン。
たくさんあるけれど、お店を閉めるころには、ほとんど売り切れてしまう。
……これをわたしひとりで売れと?
レジのやり方すらわからないのに?
説明を聞きたいのに、お母さんの姿が見えない。
お父さんは奥の部屋で休んでいるのだろうか。
様子を見に行こうとしたとき、店の扉が開いた。
「こんにちはー」
見覚えのあるおばさんが入ってきて、わたしはレジの奥でギクリと固まった。
「いらっしゃーい」
厨房のほうからお母さんが顔を出して挨拶をしてから、わたしにむかってウインクするのが見えた。
よろしくね、とその目が言っている。
……いやいや。
よろしくね、じゃない!
「い、いらっしゃい、ませ……」
「あら! あらあらあら!」
おばさんは、わたしを見るなり目を光らせた。
「蒼乃ちゃんじゃないのお! ちょっと見ないうちに大人っぽくなったわねえー! 今日はお手伝い? えらいわあー」
とめどなく喋りかけてくるこのおばさんこそ、わたしが苦手ナンバーワンとする常連さんだ。
小学校のころは学校から帰るとお店を通って2階に上がっていたのだけれど、裏口から入るようになったのは、高確率でこのおばさんに遭遇するからだった。
「蒼乃ちゃん、相変わらず人形みたいでかわいいわあ。学校でモテモテでしょう。うちの娘なんてもう男勝りで困っちゃう。もうちょっと女の子らしくしてくれればいいんだけど。そうそうさっきスーパーでね……」
どうしよう。
初めての接客でさっそく、いちばん遭遇したくない人に捕まってしまった。
わたしはお人形どころか、壊れた機械人形みたいに、首をコクコク縦に振るのがやっとだ。
おばさんは1人で喋って、1人で笑っているけれど、相手がわたしでいいんだろうか。
……まあ、そんなこと気にしていなさそうだけれど。
でも、やっぱり申し訳なく思ってしまう。
聞き上手なお父さんなら、きっと笑いながらおしゃべりを楽しむことができるんだろう。
わたしにはとてもできそうにない。

