たとえ9回生まれ変わっても



仕方なく、わたしはエプロンを巻いて階段を下りた。

店内には壁に備え付けられた棚があり、パンがずらりと並んでいる。

甘くて香ばしい匂いがいっぱいに満ちている。

食パン、あんぱん、クリームパン、カレーパン、惣菜パン、デニッシュ、クロワッサン。

たくさんあるけれど、お店を閉めるころには、ほとんど売り切れてしまう。

……これをわたしひとりで売れと?

レジのやり方すらわからないのに?

説明を聞きたいのに、お母さんの姿が見えない。

お父さんは奥の部屋で休んでいるのだろうか。
様子を見に行こうとしたとき、店の扉が開いた。

「こんにちはー」

見覚えのあるおばさんが入ってきて、わたしはレジの奥でギクリと固まった。

「いらっしゃーい」

厨房のほうからお母さんが顔を出して挨拶をしてから、わたしにむかってウインクするのが見えた。

よろしくね、とその目が言っている。

……いやいや。
よろしくね、じゃない!

「い、いらっしゃい、ませ……」

「あら! あらあらあら!」

おばさんは、わたしを見るなり目を光らせた。

「蒼乃ちゃんじゃないのお! ちょっと見ないうちに大人っぽくなったわねえー! 今日はお手伝い? えらいわあー」

とめどなく喋りかけてくるこのおばさんこそ、わたしが苦手ナンバーワンとする常連さんだ。

小学校のころは学校から帰るとお店を通って2階に上がっていたのだけれど、裏口から入るようになったのは、高確率でこのおばさんに遭遇するからだった。

「蒼乃ちゃん、相変わらず人形みたいでかわいいわあ。学校でモテモテでしょう。うちの娘なんてもう男勝りで困っちゃう。もうちょっと女の子らしくしてくれればいいんだけど。そうそうさっきスーパーでね……」

どうしよう。
初めての接客でさっそく、いちばん遭遇したくない人に捕まってしまった。

わたしはお人形どころか、壊れた機械人形みたいに、首をコクコク縦に振るのがやっとだ。

おばさんは1人で喋って、1人で笑っているけれど、相手がわたしでいいんだろうか。

……まあ、そんなこと気にしていなさそうだけれど。

でも、やっぱり申し訳なく思ってしまう。

聞き上手なお父さんなら、きっと笑いながらおしゃべりを楽しむことができるんだろう。

わたしにはとてもできそうにない。