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住宅街の角を曲がると、白い洋風の家が建っている。
『手作りパン工房もりかわ』
扉の横に、看板が立てかけてあるのがわたしの家だ。
1階がパン屋、2階が生活スペースになっている。
わたしは裏口にまわって、勝手口のドアを開けた。
店内へと続く扉の隙間から、焼きたてのパンの香ばしい匂いがふわりと漂う。
店の入口から入っても2階へは行けるけれど、お客さんがいたときは挨拶をしなければならない。
一言挨拶をするだけならまだしも、お喋り好きなおばさんがものすごい勢いで話しかけてきたり、学校帰りの学生が物珍しさでジロジロ見てきたりするから、店の中を通っていくのは苦手だった。
「ただいま」
家に誰もいなくても、帰ってきたらまず、ただいまを言う。
シオがいたときは必ずそうしていたから、癖になっていた。
自分の部屋に鞄を置いて、部屋着に着替えようとしていたら、ばたばたと慌ただしく階段をあがる音がした。
「蒼乃っ!」
勢いよくドアが開いたかと思うと、お母さんが息を切らしている。
「ど、どうしたの?」
「これ、いますぐ着替えてちょうだい」
お母さんが差し出したのは、白いシャツと黒いズボン、それと黒い腰巻きタイプのエプロン。
お父さんがお店で着ている、接客用の服だ。
「サイズなら心配しなくても大丈夫。これ、ほとんど使ってないけどわたしのだから。わたしと蒼乃、ほとんど背丈が一緒でしょ」
早口でまくし立てるお母さんに、わたしは慌ててストップをかけた。
「え、いやいや、サイズって……お父さんは?」
うちのお店は基本的に、お母さんが厨房でパンを作り、お父さんが売り場に立っている。
お母さんの作るパンは、ふわふわでおいしいと評判だ。
とくに店の看板商品である山形イギリスパンは、一度食べたら病みつきになる人が後を絶たない。
お父さんはパン作りの才能はないらしいけれど、底抜けに明るい性格で、接客の才能ならバツグンだ。
そんな2人の娘であるわたしは、見た目だけじゃなく、どちらの才能も受け継がなかった。
不器用だから上手にパンを作ることもできないし、人見知りで接客もできない。
お母さんもお父さんも、わたしが使えないのがわかっているのだろう。
どんなに忙しくても、これまで手伝いを頼まれたりしたことは一度もないーーはずだった。

