「あ、そうだ」
吉田さんの明るい声に、私は視線だけをふっと上げた。
吉田さんは表情も明るくして私の方にきらきらした目を向けている。
「えっと、ごめん、君の名前聞いてなかったね」
「え? 私ですか? 田村、美鈴です」
「美鈴ちゃん。美鈴ちゃん、もしかしてもうすぐ夏休みだったりする?」
「はい、ちょうど明日から」
「いやあ、ついてるなあ」
「はい?」
「夏休みの間だけ、涼也の専属マネージャーやってもらえないかな?」
「……え?」
「僕の足も全治一か月だし、夏休みいっぱいバイトだと思って」
「吉田さん、彼女は素人ですよ。
しかもこんなきつい仕事、バイト感覚でやられたら俺の方が困る。
それならいっそ、一人でやったほうがよっぽど……」
「それは無理。
いくらお前が器用で何でもできるとはいえ、全部一人でやったら、絶対倒れる。
それは僕たちが困る。
ね? 美鈴ちゃんもそう思うよね?」
「え? えっと……」
「そういうことで頼んでいいかな?
僕の治療代はそのバイト代でまかなうってことでどう?」
吉田さんは私の返事を待たずに話をどんどん進めていく。
「そ、そんなの無理です。
だって私高校生だし。
芸能界のマーネジャーのお仕事ってよくわからないですけど、大変そうだし、こんな子どもに務まるものかと……」
「見た目の心配なら大丈夫だよ。メイクすれば誤魔化せるし。
ちょっと童顔だけど、メイクしたら23、4ぐらいには見えるんじゃない?
ちょうどいいじゃん。大学卒業したばかりの新人マネージャーってことで。
そしたら多少のミスは見逃してもらえ……」
「吉田さんっ」
涼ちゃんの厳しい声が、病室に響いた。
「この業界は、社会人経験もない女子高生が入ってくるような甘い世界じゃないんだよ。
芸能界のことも知らないこんな女子高生に、俺の仕事やプライベートの管理を安心して任せられるわけないじゃん」
「おうおうおう。
なんか一人前の大物タレントみたいなこと言ってくれちゃってるじゃん?」
吉田さんの語調が急にチンピラみたいになる。
そうかと思ったら、まるで諭すような大人の目を涼ちゃんに向けた。
「涼也だって、高校二年生、今年で17歳。
デビューしてたった2年。まだまだお前の知らないことはたくさんあるよ。
ちょっと売れただけで、なんでもわかった気になっちゃった?」
最後の言葉を放った時の吉田さんの冷ややかな顔に、私の方がぞっとした。
涼ちゃんはそんな吉田さんをにらみつける。
「マネージャーとタレントは、二人三脚。一人では何もできないんだよ。
そばに誰かがいてくれるだけで強くなれることなんて、たくさんあるだろ?」
その諭すような声に、私の背筋までピンとなる。
「ね? 美鈴ちゃんもそう思わない?」
吉田さんはことあるごとに私に同調を求めるけど、それは正直困る。
「と言われましても……あの、私、ほんとに何もできないんです。
自分で言うのも恥ずかしいんですけど、学力ゼロ、体力ゼロ、女子力ゼロ、自己管理能力ゼロですから。
メイクすればと言われても、私、まともにメイクとかできないし、それだけで誤魔化せるとは到底思えな……」
「それなら心配ないよ。涼也に任せたらいいんだから」
「え?」
私は思わず涼ちゃんの顔を見た。涼ちゃんは少々眉間にしわを寄せて厳しい表情をしている。
「涼也はメイクだってヘアアレンジだって上手なんだから」
「はあ……」と私がなんとなく返事をしている間に、吉田さんはそばに置いてあった二つの紙袋の一つをごそごそし始める。
そして、「はい、これ」といって、私に大量のファイルと一緒に手帳を渡してきた。
「ここに近々の涼也のスケジュールについて書いてあるから。
それと出演番組の資料と雑誌の打合せ資料や提出物。
大体のことは手帳に書いてあるから、手帳見ながらこのファイルから必要書類取り出して読むなり、先方に提出するなりして」
私は手渡された手帳をそっと開いた。
そこには、びっしりと白い部分がないくらいの予定が書き込まれていた。
吉田さんの細かい字は、はっきり言って汚くて見にくい。
救いの目を向けても、吉田さんは紙袋の中身を確認するのに余念がない。
ぶつぶつ言いながら書類がそろっているのか確認しているようだ。
「じゃあこれ、涼也に関することや仕事のことは全部まとめてあるから」
そう言って、私に重い紙袋を二つ渡す。
それを、おっとっとと慌てて受け取る。
重すぎて重心が傾き、体がふらつくのを、吉田さんはにこやかな笑顔で見ていた。
「今日から涼也の専属マネージャー、よろしくね」
両手に持った重い紙袋に引っ張られ、がくんと肩が落ちた。