「あのっ……楓君」
あの日、私は吉田さんの体を支えながら車に乗せようとしている楓君に声をかけた。
楓君は吉田さんを車に押し込んでぱたんと扉を閉めた。
楓君は穏やかな顔で私の方に近づいてくる。
その後ろで、吉田さんの乗った車は、ゆさゆさと揺れていた。
「あの……、私でも、モデルの仕事ってできるのかな?」
そこまで言って視線を上げると、楓君は穏やかな表情を作ったままそこに立っていた。
「もちろんだよ。その気になってくれた?」
「うん」と首を縦に振ろうとしたとき、高級車から吉田さんが飛び出してきた。
「顔出しは、絶対だめだよ。そんなことしたら、涼也の苦労が無駄になる。
君のために、何もかも投げ捨てて頭を下げて回っているんだからね。
関係者に、自分のマネージャー代理がモデル代理をやったことは伏せてほしい。
彼女のことは詮索しないでほしい。他言しないでほしい。
どんなにいい宣伝写真ができたとしても、顔出しは避けてほしいって。
そんなの、自分から熱愛の相手は美鈴ちゃんですって言ってるようなものなのに。
だけどそれが、涼也なりの美鈴ちゃんの守り方なんだ」
吉田さんの顔は、これまで見たことないほどが険しかった。
涼ちゃんが頭を下げる姿を想像して、胸が痛んだ。
涼ちゃんはまた、私のせいで誰かに頭を下げているんだ。
あの、初仕事の日みたいに。
また私は、涼ちゃんに迷惑をかけている。
「吉田さんはほんと、頭硬いなあ。
吉田さんだって俺の話聞いて「うんうん」ってうなずいてたじゃん。
『かわいいなあ、ほんとにかわいいなあ』なんて、鼻の下伸ばしまくってたじゃん」
「か、楓君、美鈴ちゃんの前で何てこと……」
「それに、美鈴ちゃんに顔出しの提案するって言ったら、『勝手にしなさい』って言っただろ?」
「提案するのは勝手だけど、涼也の気持ちや現状を考えたうえでの話だよ」
「顔出しOKにすれば、美鈴ちゃんも涼也とまた会えるし、涼也だって……。
涼也の気持ちを考えたら、それが一番幸せに決まってんじゃん。
吉田さんだってわかってるだろ?」
「顔出しして美鈴ちゃんに及ぶリスクだって、君もさっき言ってたじゃないか」
__涼也の熱愛相手なんて、大人の力で探せばすぐに君だと突き止められるんだよ。
キッチンでの楓君の言葉が思い出されて、思わず体が震えた。
「楓君、この世の中はね、正しいことがすべて正しいとは限らないんだよ」
「何だよそれ、意味わかんねえよ」
「ああ、僕も自分で言っておきながら、よく意味が分からない」
「だいたい、吉田さんがマネージャー代理を美鈴ちゃんに任せてること、事務所に報告してなかったのがいけないんでしょ?
どうせのん気に入院生活謳歌してたんだろ。
業務怠慢。監督不行き届き」
「うっ……楓君、言葉が過ぎるよ。
確かに僕にも責任はあるけど……とにかく、顔出しはダメ。
大人の事情を汲み取ってよ」
「はああ、大人なんてつまんねえ」
「楓君、君ももう二十歳だろ」
「21だよ」
二人の声は次第に大きくなり、口論も激しさを増していく。
そんな二人に挟まれて、私はただ俯いていることしかできなかった。
私には何もできない。
どんな選択をしても、どんな決断をしても、結局私は涼ちゃんに迷惑をかけてしまうんだ。
いろんなものに板挟みされて、私はその場を動くことも、二人の口論を止めることもできなかった。


