目の前に終わりのない道が続き、その先に誰かの姿がある。

 まだ顔は見えない。

 全てがぼやけていて体型で人を判断することもできない。

 「蒼来」

 ただ、その二文字を叫ぶその声に、求めていたその声に、私は走って向かう。

 「透真くん」

 「走らなくてもいいだろう」

 「だって……」

 「俺は消えないから大丈夫だよ」

 「嘘だよ……」

 「俺は嘘をつけない性格の人間だっただろう?」

 「そんなの知らないよ」

 目の前には間違いなく透真くんの姿があった。

 声も匂いも身長もその全てが彼のものだった。

 彼は私の手を取り、自分のジャケットにそれを入れた。

 彼の体温に、目に涙が浮かぶ。

 「なんで泣いているんだよ」

 そう言って茶化すように言う透真くんも、声が徐々に小さくなっていく。

 「ほら、早く行くぞ」

 それに頷き、涙を拭う。

 何を急いでいるのか、心なしか透真くんはいつもより速足な気がする。

 いや、私が遅いだけか。


 「歩くのがつらかったらすぐに言えよ」

 「ありがとう」

 久しぶりの会話に何から話していいのかが分からない。

 話したいことは山のようにあるはずなのに第一声が出てこない。

 そんなこんなで歩き続けること5分。


 「ここ……」

 目の前に立つその建物を見た瞬間に目を見開いた。

 透真くんに連れられるまま、辿り着いたのは少し前まで通っていた高校だった。

 時計の短針は午後5時を示している。

 校内に残っている大抵の生徒が部活動に励んでいる時間だ。

 「でも、これ不法侵入だよ?」

 「バレなきゃ大丈夫だよ」

 彼は息をひそめてそう言った。

 それから、考える間も与えてくれず、裏口に回り校内に足を踏み入れた。

 手をつないでいるために引っ張られて意思とは正反対に身体が動く。

 2人揃って私服を身に付けているために見つかりやすい状態だ。

 というよりも既に浮いている気さえする。

 「もう入っちゃったから戻れないね」

 「で、どこに行くの?」

 「それはもうあそこしかないでしょ」

 彼は私を試すようにそう言うが、私にはそれがどこなのかさっぱり分からない。

 最後に所属していた教室に行くのが唯一挙げられる場所だが、とはいってもその場所に意味はないはずだ。


 同じクラスとはいえ、校内で話したことはない。

 それに、親しくなってからは一度も教室で会っていないのだから。

 「あぁ、やっぱり空いてないか」

 透真くんは廊下の窓から隣の棟を見て残念そうに言った。

 私は慌てて透真くんの視線の先を見ると、そこには自分たちのホームルーム教室があった。

 明かりがついている。

 おそらく誰かが教室を使っているようだ。

 「教室に用事でも会ったの?」

 「なんとなくね」

 「先生が来るよ!」

 渡り廊下からこちらに向かっている教師の姿が見えて、透真くんの手を引いて一番近くの教室に駆け込んだ。

 「危なかった……ありがとう」

 「いえいえ」

 壁にもたれて座り込み、教師が通り過ぎるのを待つ。

 もしかすると別の階に行っているかもしれないが、念のためしばらく待っていると、教師2人が壁を挟んですぐのところで会話を始めた。

 「最悪だよ……」

 透真くんば息をひそめて心の声を漏らす。

 それは私も同じで思わず、嘘だ、と言った。

 壁一枚しか挟んでいないためか、会話内容が全て聞こえてくる。

 どうやら片方が新婚らしく、新婚旅行についての話だった。

 行き先や日程などを話していた。

 それを聞いている私たちは目を合わせて笑った。

 私たちも気付かれてはいけないから話すことも身体を動かすこともできずに2人の間に気まずい空気が流れる。

 なかなかその場を後にしようとしない教師に、別の場所で話してほしいと何度も思った。

 この場所を離れてくれない限り私たちは動けない。

 そうは言うものの、もとはと言えば不法侵入した私たちが悪いのだけど。

 それから数分が経過して教師は別々の方向に歩いていき、それをドアから覗いて確認すると、また廊下を歩き始めた。

 透真くんは、長かったな、と言いながら身体を伸ばしている。
 それに、そうだね、と返す。

 私は次こそは気付かれてしまうのではないかという恐怖に襲われていて楽しむという状況にはなかった。

 「はい、着いた」

 「ここって……」

 「そう、図書室」

 「図書室って沢山人がいそうだけど」

 「それが居ないんだよね」

 「え?」

 「どうしてかこの時間帯っていつも人が少ないんだよね」

 「そうなんだ。でも、少ないってことはーー」

 続きを言う前に返事があった。

 「何とかなるって。早くしないとそれこそ先生に見つかるよ」

 透真くんは図書室に入っていく。

 私はすぐに彼の後を付けた。

 入ってみると、利用者はいなかった。

 彼は、ほら言っただろう、とでも言うようにこちらを見ている。

 「図書室に用事でもあったの?」

 「いや、学校で2人になれるならどこでもよかった」

 苦笑いする彼に、そっか、とだけ返す。

 「俺、青春らしいことをしてみたかったんだ。そしたら学校しか思いつかなくてさ」

 その言葉に小さく頷く。

 「何気ない毎日が幸せだったから、今日はここに決めた。学校を辞める前にもっと思い出を作っておきたかったって、ずっと後悔していたから」

 そして、だから今は凄く幸せだよ、と付け加えた。

 それに、私も幸せだよ、と答えた。

 彼が学校を選んだ理由が彼らしくて、誰かに見つかるかもしれないと、おびえてばかりいた自分が馬鹿馬鹿しい。

 お化け屋敷感覚で、スリルをもっと楽しめばよかったと後悔する。

 普通ならそれは不可能だろうけど。

 「ところで、世界の果ての意味は分かった?」

 突然、透真くんの方からその話題を振られて驚くとともにまだ答えに辿り着けていないことを認めざるを得ないのが苦しい。

 「分からない。でも、私は世界の果てはないと思う」

 「じゃあ、もう少しだな」

 「え、惜しいの?」

 「あぁ。そこまで分かったらあともう少しだ。頑張って見つけてくれよ」
 
 透真くんがそう言うと彼が徐々に透けていった。

 何度も透真くんに触れようと試みるも透け始めた彼に触れることは出来なかった。

 どこを掴もうとしてもすべて空を切っているだけだ。

 指先や足先から始まり、ものの数秒で完全に消えた。

 彼は悲しむ時間すらくれなかった。

 私も涙を流すことなく、世界の果て、の意味を考えることに徹した。

 一秒でも早く、その答えに辿り着くために。