この街をあと何回自分の足で歩けるだろうか。
文房具を買いに行った帰り、ふとそんなことを考える。
父は私が一人で外出することを良くは思っていないし、正直、自分でも限界には気が付いている。
今日だって既に何度か転びそうになったし、今もいつもの倍の時間をかけて家路についている。
こんな状態だから、マイナスな気持ちに走りがちだったが、それと同時に、今できることに全力を注ぎたい気持ちも強くなっていった。
私に次のチャンスなんて来ないかもしれないのだから。
そんなことを考えていると、突然視界に靄が掛かり、私の周りの時間だけが緩やかに流れているような感覚に陥る。
立っているのがやっとで身体の細部にまで力が入らない。
何度も必死に訴えかけてみるも、既に電波は途絶えていてどうにもならない。
どうして……。
もう少しで信号が変わり、乗用車も動き出す。
こんなところで死にたくない。
何度もそう思い心の中で叫んだが、一向に動かない身体と徐々に朦朧としていく意識が私の行く末を暗示しているようだった。
ふと母の存在が頭をよぎる。
母はどんな思いで最期を迎えたのだろうか。
それだけではない。
母が事故に遭って命を落としたように、私も同じような最期を迎えるのではないか。
考えることは死を前提にしたもので、この思考回路を遮断しようとしたところでもうどうにもならなかった。
そんな時、向かいから来た男性に手を引かれ、抱きしめられる形になる。
ここで意識がはっきりした私は事のすべてを察して離れようと思うが、やはり身体は動いてくれなかった。
「大丈夫か?」
聞き覚えのある、その柔らかな声にその声の主が透真くんであるとすぐに気が付く。
「ありがとう」
透真くんは、いえいえ、と言って私を近くの花壇の端の積み重ねられた煉瓦に腰を掛けさせる。
何をするのかと大人しく座ったまま見ていると、突然彼が私の前にしゃがんだ。
「乗って」
どうやらおんぶをしてくれようとしているらしいが、周りの目が気になって動けずにいた。
それに、重いと思われてしまうことが気がかりだった。
「乗らないと帰れないだろう?」
言われてみればそうだが、それ以上に恥ずかしさが勝ってしまう。
「ちゃんと裏道を通るから」
透真くんは私の心を見透かしたかのようにそう言うと、後ろに手を伸ばした。
「じゃあ……」
そう言い私が乗るとすぐに裏道に向かってくれた。
透真くんの背中は妙に安心感があり、不思議とおんぶされていることも嫌な気はしなかった。
寧ろ、一定のリズムの揺れと彼の甘い香水の匂いで幸せに包まれる。
家までは徒歩数分。
近所のスーパーを目印に家の場所を伝えると、迷うことなく裏道を進み、あっという間に家に着く。
この時間が続けばいいのに、と思う反面、私には彼に行っておかなければならないことがあったと焦り始める。
家の玄関の前で下ろしてもらうと、すぐに彼と向き合う。
少しずつ感覚が戻り始めたようで、ようやく足に力が入るようになった。
「あのさ、さっきのことは内緒にしていてくれないかな」
「でも、大丈夫なのか?」
「うん、大したことないから。送ってくれてありがとう」
「ううん、じゃあな」
「じゃあね」
心配そうな透真くんの前で無理矢理元気なふりをする。
今後悪化していくことは確約されているし、そう思えばこのくらいまだ平気だ。
透真くんの姿が見えなくなってから誰もいない家に、ただいま、と言って入る。
母が生きていた時は毎回笑顔と母の包み込むようなおかえりの声で迎えられていた。
その頃と比べると今は寂しい。
だが、父はこれよりもつらい思いをすることになるのか、と思うとやはり私はまだ頑張らないと、と思わずにはいられなかった。
透真くんと別れてからは身体が言うことを聞かなくなったあの瞬間が何度も脳内で再生されて苦しめられていた。
悔しいが、こればかりは父の言うように大人しく家に籠っていた方が楽なのかもしれない、と一瞬だけ思ってしまった。
勿論、貪欲に生きることを止めようとは思えない。
ただ、一瞬迷いが生じたのは確かだった。

