それぞれの店が営業の準備を始める中、ルクレーヌ王国は主に書店を中心に緊張感に包まれていた。
 書店の前には長蛇の列。並んでいるのは圧倒的に女性が多いが、中には男性の姿も目に入る。身なりの良い紳士たちは主人の使いだろう。
 看板を手にした誘導係の指示で的確に形成された列は遠く長く伸び、別の待機場所へと区切り誘導された人たちを含めると最後尾までの距離は果てしない。
 これだけの人が集まりながら目立ったトラブルがないのはリタ・グレイシアの新刊を手に入れるという共通の目的への団結と、トラブルを未然に防ぐために配備されている騎士たちのおかげだろう。

 本は手に入るのか。
 開店が待ち遠しい。
 早く読みたい。
 何時から並んでいる。

 そんな声が聞こえる中、ついに開店の合図である広場の鐘が鳴り響く。その瞬間からルクレーヌの書店という書店は多忙を極めた。
 いくら時間が経っても列が途切れる様子はない。むしろ人々の生活時間になったことで客が増えているほどだ。
 書店に吸い込まれた者たちはみな、同じ本を手に抱いている。本のタイトルは【伯爵家の契約結婚】であり、利害の一致で契約結婚をした二人が運命の恋に落ちるというロマンス小説だ。もちろん結末はハッピーエンドである。

「売れ行きは良好みたいね!」

 少し離れた民家の影からその様子を覗き見ていたセレナは満足そうに呟いた。リタ・グレイシアこと、本名セレナ・レスタータである。
 そんな主人の様子に背後で控えていた侍女のモニカは困った反応を示した。

「セレナさまぁ~、そのように物陰から覗かれなくても、お申し付け下さればわたくしが視察してまいりますのに……」

 モニカの言葉通り、セレナには人に命じられるだけの権力がある。一言命じさえすればわざわざ民家の壁に隠れて書店を覗き見るような真似をする必要はないのだが、それを断って自ら行動に移したのはセレナ自身だ。

「いいの! こういうのはね、自分の目で見て実感したいものなのよ」

 書店から出てくる人たちの幸せそうな顔。あちこちで聞こえるリタ・グレイシアの名。それは直接足を運ばなければ実感することはできなかった。

「ですがセレナ様。そろそろ出発なさらないと、王妃様との約束に遅れてしまいますよ?」

「それは困るわ!」

 待たせていた馬車に乗り込み、向かった先はルクレーヌが誇る王国の象徴だ。