すっかり暗くなった帰り道を二人で歩く。私の歩幅に合わせるようにゆっくりと進む匠真の足音と私の足音が重なり、一定のリズムを刻んでいた。夜風の冷たさはその温度を上げ、季節を変えようと調整しているようで、時折吹く風が心地よかった。
 別れの時はすぐに訪れた。一言も発さなかった道のりは呆気なく過去になり、やってくる未来を目の前にすると後戻りしたくなる。

「送ってくれてありがとう」

 私の言葉に匠真はいつものように微笑んだ。見つめ合う私たちを街灯が淡く照らし、その表情をどこか切なく映す。

「最後に一つだけ、俺のお願い聞いてくれる?」

 匠真はそう言って一歩近づいた。控えめに頷く私を見て匠真はその願いを口にする。

「名前を、呼んでもいい?」

「名前?」

「そう。浅倉さんの名前。星を見に行った日のこと覚えてる?あの日、浅倉さんが匠真って呼んでくれたとき、俺嬉しかったよ。でもそれが俺のことじゃないってこと、本当は分かってた。だからさ、最後に俺のこと匠真って呼んでよ。それで俺にも、君を名前で呼ばせてほしい」

 あの日咄嗟に口に出したその名前が間違いではなかったと今なら分かる。そんな過去を思い出しながら「いいよ」と首を縦に動かした。

「絶対に、ずっと笑っていて。幸せになってね。——ばいばい、琴音」

「うん、匠真も、匠真も絶対に幸せになって。匠真なら大丈夫、私が保証する」

 言葉を詰まらせた私を匠真は優しく抱きしめてくれた。大きな背中に手を回すと、涙は自然と溢れてくる。

「琴音、泣かないで。笑ってって言ったじゃん」

 そう言った匠真の声はひどく震えていた。強がる匠真を私は力一杯抱きしめた。

 ゆっくりとお互いの体を離すと、目に涙を浮かべた匠真の姿が私の視界に映し出された。
 俯いてゆっくりと深呼吸をする。
 頬を丁寧に緩めると次に広角を少しずつ上げていく。不自然に映らないように自然に。
 これから言う言葉には似つかわしくない笑顔を匠真に向けると、同じように笑う匠真がこちらを見ていた。その笑顔を見ると不自然だった私の表情が自然なものへと変わっていく。

「——ばいばい、匠真」



 君の記憶の中にいる私がどうか笑顔でありますように。
 そして、これからの君がずっと笑顔でいられますように。

 そんな願いを込めて、私はその夜眠りについた。


 夢の中で匠真は笑っていた。笑顔の匠真が私に言う。

「琴音、ありがとう」

 今まで見た夢の中で一番私を安らかにしてくれた。
 君が笑顔でいてくれるのなら、私はいつだって同じ選択をする。こんな夢を見させてくれるのなら、何度だって眠りにつく。

 だからどうか、どうか幸せでいて。