向かい風のせいで重たくなった扉を開けると、その風は先ほどコピーした資料を一枚運んでいった。慌てて取りに行ったけれど、私より先に資料を追いかけた一人の学生に先を越されてしまった。他の資料まで飛ばされないように注意しながら、「すみません、ありがとうございます」と言い、風に揺られる薄い紙を受け取ると、「浅倉さん?」と聞き慣れた声が私の耳に届く。顔を上げると、そこには驚きながらも優しい目で私を見る飯村君の姿があった。

「び、びっくりした」

 そう言って思わず後退りした私を見て、彼は目を細めて笑った。

「俺も驚いた。藤山先生のところ行ってたの?」

「いや、そういう訳じゃなかったんだけど、でも結局は先生にお世話になっちゃったかな。飯村君は?」

「そうなんだ。俺もちょっと先生のところ行こうかなって思ってたんだけど、やっぱりやめた」

 彼はそう言うと体の向きを変えた。

「え、どうしたの?大丈夫?」

「うん、別に約束してた訳じゃないしね。あとほら、もうすぐ閉館時間だなと思って」

 自然に駅方面へと足を動かす彼に私も倣う。すると歩き出してすぐ、「本当はさ」と彼が言いにくそうに口を開いた。

「本当は、浅倉さんに会ったから一緒に帰りたくなった」

 また、心が動く。私も同じ気持ちだと、心が叫ぶ。それを彼に伝えることはまだできないけれど、その気持ちをかき消すことはもうしない。そうやって自分の気持ちをきちんと受け入れると、それは思ったよりも苦しくなかった。

「なんか言ってよ」

 不服そうに彼が言う。横目に見ると、わざとらしく拗ねた表情を浮かべていた。そんな彼が愛おしくて、私はつい笑ってしまう。ここまでくると、続く言葉は自然と出てきた。

「私も。私も飯村君と一緒に帰りたいって思ったよ」


 世界が変わる。思うままに、感じるままに、自分の心と向き合うと、世界は変わって見えた。
 今までと違う世界に私はもう足を踏み入れている。そこに匠真の姿がなくても、それでも私はこの世界を選ぶだろう。