店内は少し落ち着きを取り戻していた。ざっと見渡してみたが、もう飯村君の姿はなかった。彼がいつ帰ったのかも分からなかったほど後半は忙しかったし、彼も私に一瞥して帰る必要もなかっただろう。それでもどこか少し寂しく感じるのは、まだ彼を匠真と重ねてしまっているからだと思う。

 コーヒーを手に取り事務所に戻ると、友梨ちゃんは口角を上げながらスマホをいじっていた。きっと彼氏と連絡を取っているのだろう。何も言わずに目の前の椅子に腰かける私に気づいた彼女は、スマホを鞄にしまって椅子に座ったまま私に近づいてきた。

「で、聞きたいことって何?」

 私が尋ねると、彼女は「いや、大したことはないんですけどね?」と前置きをしてにんまりと笑顔を作り、そしてそのまま目を輝かせて本題に入った。

「原田さんがコーヒーこぼされた時に、琴音さんが対応されてた男の人いたじゃないですか?あれ、誰ですか?」

 思わず「えっ」と声が出た。まさか彼女からそんなことを聞かれるなんて思っていなかったし、何よりその時の私を見られていたと思うと途端に恥ずかしくなった。

「誰って……えっと、飯村匠真君。私も昨日たまたま大学で知り合ったってだけでほとんど話したこともなかったの。名前知ったのだって本当についさっきで——」

 話している途中で気がついた。私は何をこんなにも焦っているのだろう。気づけば両手に汗を感じるほどになっていた。別に何も悪いことなんてしていないし、隠すようなことだって何もない。それなのにどうしてこんなにも動揺しているのだろう。
 そんな私の様子に彼女は少し困った表情を見せて、「そうなんですか?おかしいなぁ」と呟き、首を傾げた。

「あの人が来店した時、私が対応したんです。だから注文も取りに行こうと思ってタイミング見計らってたんですけど……」

 そこまで言うと彼女は何かを思い出したように「ふふっ」と小さく笑い、カフェオレを一口飲んだ。

「多分、注文するものが決まったから誰か店員呼ぼうと思って周りをキョロキョロされてたんだと思うんですけどね、彼その時に琴音さん見つけて目を丸くして驚いた表情作ってたんです。それから私と目が合うと急に鞄の中から本取り出して読み始めちゃって。なんかよく分かんないけど琴音さんに注文取りに来てほしいのかなぁと思って、私はとりあえず行くのやめておいたんです」

 最後まで話し終えると彼女は残りのカフェオレを一気に飲み干した。私はというと、彼女の話にまったく頭がついていっていない状況で、昨日からの色々と共に頭の中が支配されて思考が停止されそうになっていた。
 その後すぐに彼女の休憩が終わり、私もそれに合わせてなんとかコーヒーを飲み終えた。最後に彼女から貰ったチョコレートを口にして、その甘さにまたコーヒーが飲みたくなってしまった。

「琴音さん、また何かあったら話聞くんでいつでも言ってくださいね。あと、そんな顔して暗い中一人で帰ってたら誰か悪い人に襲われちゃいますよ!気をつけて」

 そう言って彼女は冗談まじりの笑顔を見せて私の肩を優しく叩いてから仕事へ戻っていった。