婚約破棄から始まる恋~捕獲された地味令嬢は王子様に溺愛されています

「それはそうとまだこちらには移らないのですか?」

「そうだな。まだ、もう少し、あの邸に暮らしていたい。両親やアーニャ、ジェフリーお前との思い出があるからな。今しばらく浸っていたいんだ」

 アーニャは母親、父にとっては愛する妻である。五年前に亡くなってしまったが。母上のことを思い出しているんだろう。父は目をふせて表情が昔を懐かしむような穏やかなものになった。

 うちは細々とした領地の収入で暮らしていたような弱小男爵家だったのだが、曾祖父の代で貿易をはじめ真珠の養殖など新しい事業が成功してひと財産を築いた。

 邸の老朽化も進み土地も狭く手狭になってしまったため、思い切って引っ越そうということになった。

 代々住み続けてきた土地を離れるのは先祖に申し訳なかったが、そのままの土地に建て替えるより別の土地の方が効率が良かったこともある。
 最後まで反対していた父は、土地、建物が売れたなら了承してもよいと渋々納得してくれた。

 結果。
 すぐに売買は成立。
 市街地に近く立地条件が良かったのか、相場より高く設定したのだが買主はすぐに見つかった。
 父にはかわいそうだったのだが、土地と建物を手放すことが決定したのだった。

 ちなみにリリアは新邸があることなど知らない。

「それに、あの娘もいるからな」
 
 父が忌々しそうにぽつりと呟いた。

 我がチェント男爵家のたった一つの汚点。

 それがリリアだった。