第一話 出逢い、それでも普遍を選ぶ。②
「うっす」
「おはよ」
 石川がいつものように僕の前に来た。石川はクラスで一番仲が良い。体育のペアはいつも決まって石川だし、教室でもいつも石川としか話さない。僕は集団生活になるとストレスが溜まってしまい、具合が悪くなる。だからクラスでは石川一人と話すくらいで、他の人との通信は遮断していた。
「僕さ……生徒会副会長になった」
 口を開いてから言うか迷ったけど、結局言った。すると、石川はわざとらしくため息を吐き、頭をポリポリ掻いた。
「お前さ、冗談あんま言わないけど、言ったら言ったで超つまんないぞ?」
 なかなかに心に来る言葉を、容赦無く突き立ててきた。
「ていうか、騙すんならもっとこう、リアリティのあるもんにしろよな?」
 それだけでいいのに、石川の口は止まらない。
「笑わせたいなら白砂に告った……とでも言ってくれないと…………な」
 石川はこねくった。だけど、僕の顔を見て、アメリカ人のような手振りを徐々に小さくし「まじ?」と聞いていきた。何一つジョークなど言っていない。だから、顔色ひとつ変えず、「うん」と返した。
「⋯⋯何でそんなことになったんだよ」
「僕もわからない」
 僕の返答に石川は納得のいかない表情を浮かべる。でも、これ以上説明のしようがないのだから仕方がない。
 すると、ホームルームのために米村先生が教室に入ってきた。先生を見て、うるさい男子たちが「今日も可愛い!」「俺とデートして!」などと、冗談混じりに叫び始める。それに重ねて女子たちが「男子キモい」「男子うるさい」などという大半の男子が冤罪の罵声が飛び交う。先生はそんな言葉たちを無視し、僕を見るや、腿元で小さく親指を立て、なぜかドヤ顔をしてきた。
「あの人のせいか」
「そういうこと」
 石川にとっては米村先生という存在だけで、僕が副会長になる理由としては十分だったみたいだ。理由はわからないが、僕は米村先生から好かれている。先生が僕に話しかけなければ、僕と先生が関わることはなかったはずだ。僕が先生に話しかけられているのを近くで見ていることが多い石川は、何となく無理やりだったことを察したようだ。

 放課後、昨日に引き続き、またこのドアを開けなければならないとは思わなかった。生徒会は部活との両立が厳しいと言われるけれど、二日目にしてその理由が理解できそうだった。肉体的にはそこまで疲れていないが、僕の精神はすでに参っていた。理由は二つ。
「どうしたの? 入ろ?」
 一つ目はこの女子。女子というだけで精神が擦り減る。僕は「ひっ」っと短く情けない声を挙げてしまった。声色でわかる。後ろを振り向くと言わずもがな、白砂だった。白砂は僕の驚いた顔を見て、「変な顔」と言って、微笑した。でも馬鹿にしている素振りは一切なく、素で笑っているのが見てとれた。だから嫌な気分にはならなかった。それでも、やっぱり疲れる。
 二つ目は、生徒会役員という肩書きだ。今は何もないが、今後の行動に制限がかけられそうな気がして、それだけで胃が痛くなってくる。

 *

 今日の昼休みに白砂は突如、僕の教室に現れて「新くーん」と呼んできた。当然クラスはざわついた。あの学校のマドンナが取り柄のない僕の名前を発するんだから当たり前だ。皆の視線は僕に集まった。僕は小さくなりながら白砂の元へ向かった。
「何だよ」
「なんかちょっと怒ってる?」
 ああ、怒っている。主に二つだ。僕を生徒会副会長にした経緯を未だにしっかり話さないことと、僕をクラスで目立たせたことだ。
 目を合わせない僕に白砂は覗くようにして、無理やり視界に入ってきた。仕方なく僕は前を向いた。やっぱり可愛くて、顔が赤くなっていないか心配だったから、なるべく離れたい。
「ごめんね。私も悪いと思ってるんだ。なるべく仕事は私が頑張るからさ」
 そういうことじゃない。
「いや、いいよ。一応副会長なんだ。できるだけ僕も手伝うさ」
「ほんと?」
「ああ」
「ありがと!」
 何がそんなに嬉しいのだろうか。彼女の大袈裟な笑顔は違和感しかない。多分、僕が捻くれているだけだろうけど。
「じゃあ今日、生徒会室来て欲しいな」
「それだけか?」
「うん!」
 僕はすぐ席に戻った。

「副会長になれてよかったな」
 石川は僕を揶揄うようにして微笑んだ。可愛い人と接点を持つためだけに一年縛られるなんてごめんだ。本当にそう思っているなら、今にでも代わって欲しい⋯⋯。

 *

 生徒会室に入った後、白砂から部活動改革案と書かれた二十ページほどある冊子を渡された。変更したほうが良い箇所があったら教えて欲しいとのことだった。クリップで止められた簡易なものだったが、文字の量から彼女の努力が見てとれた。僕がソファでそれをペラペラ捲っていると、彼女は学校から支給されたタブレットを見ながら、ペンを走らせる。同じクラスになったことがないから知らなかったけど、眼鏡をかける彼女はまた違う綺麗さがあった。
 それにしても良くできた内容だと感じた。進学校であるこの学校を部活動でも有名にするための改革案。当然だが運動部の内容が多く、なぜかバレー部が特に手厚かった。
「えーっと」
 読書を常日頃しているからか、早々に読み終わった。
 白砂に声をかけようとしたら、口が止まった。
 彼女の名前を口にしたことがなくて、篭ってしまった。
「唄でいいよ。どうしたの?」
 彼女はそれを察して、ファーストネームで呼ぶように言ってきた。
「⋯⋯白砂、一応読み終わった」
 彼女はこちらを見て、何やら不満そうにしていたから何だよ、と顔で返した。
「読むの早いね。あと、一年間も生徒会としてやっていくんだから唄って呼んで」
 白砂は語尾を強調して言った。眉間に皺を寄せ、怒っているつもりなのか、正直、生徒会長にしては威厳のようなものが足りなくも感じた。
「たった一年の仲だ。その後はもう話さないだろうし」
 僕と君では住む世界が違うし。
「……それでもいいから唄って呼んで」
 納得のいかない様子の唄は声色を少し暗くして、僕に言ってきた。
「……わかったよ、唄」
 意外と頑固な彼女にすぐ折れた。女子を下の名前で呼ぶのは慣れていなかったからか、うまく言えているか分からなかった。彼女は僕が呼んだ名前に満面の笑みで返してきた。整った顔は笑ってもやっぱり整っていて、僕はまた見惚れていた。
「それで、どうしたの?」
「あ、読み終わったよ」
「それは聞いたよ?」
 唄はクスッと笑って、
「どうだった?」
 今度はお姉さんのような表情になった。
 僕は所々にマークをつけた冊子を彼女に渡した。
「内容的にはいい感じだと思った。ただ文武両道を掲げるのってそんな簡単なことじゃないから大変だとは思う。現実的に一年を通して、全部活県大会ぐらいなら全然あり得ると思ったかな。中学に比べて高校の県大会はハードルが下がるしね。弓道部は練習スペースの確保が難しくて質の良い練習できていないから、場所を決めてあげたほうがいいと思う。ちょっとサッカー部が面積取りすぎかな。うちの学校は野球部も陸上部もあるから校庭を使う部活の割合をもっと訂正したほうがいいと思う。外部の練習場所の活用もありだね。あと、バレー部だけ異様に改善点が多い気がするんだけど……」
 僕の説明に彼女は口を開けて、こっちを見ていた。
「な、何だよ」
 僕の言葉を聞いても、唄は反応を示さない。だから「大丈夫?」ともう一度呼んだ。
「あ、いや、乗り気じゃなかった割にはちゃんと見てくれてたんだなって」
「やる気ないままの方が良かった?」
「全然! ありがと」
 いつでも明るいその表情は、あざといと言えばそうなのかも知れないが、彼女の人当たりの良さを僕は身をもって知った。元々、人伝いにしか聞いていなかったから、ここで初めてそう言われる所以を僕は理解した。
 その後も改善点を挙げ続けた。別にこの学校がどうなろうと知ったことじゃないし、どうでもいいと思っている。でも、家に帰ってもやることがないし、誰もいない。いい暇つぶしにはなった。僕のそんな考えを彼女は一切知らないし、こんな希望に満ちた目で聞かれたら、思っていたことが全て止まらずに出てしまう。
「――こんなとこかな」
「思ってたより、酷かったなぁ」
 何分話し続けていただろうか。僕が主体でこんなに話したのはいつ振りだろう。僕らしくない気がして、もうあまり話したくなくなった。僕らしいが何なのかは知らないけど、人と話しすぎるのは良くない。ただそれだけを僕は考えていた。だから僕らしくない。
「多分、普通の生徒会ならなんの文句も無しに通ってたと思うよ」
 ため息を吐く唄を見て、僕は慰めの気持ちで言った。それも彼女は素直に受け止め、また「ありがとう」と微笑した。
 家に着いて、誰もいないと分かっていても「ただいま」と僕は言った。暗い家は本当のもぬけの殻で冷たく、何だか寂しくなる。
 僕は家に帰って、最初に兄の写真に手を合わせた。