「うむ、きつく感じるがそれは今までは違うからだろう!」

明香里は前かがみになって、自身が靴を買う時に店員がやるように爪先を押してみた。
確かに指先は詰まることなく、適度な緩みがあるようだ。幸いぴったりサイズを買えたようだ。

「よかった。じゃあ、少し歩こうよ」
「ああ」

弾んだ声で答えて立ち上がった天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)だが、なにやらふらついた。

「ぬあっ!? どう歩けば!?」
「んん? 下駄より歩きやすいと思うけどな」

それは慣れの問題だろうか。

「じゃあ、座ってる?」
「いや! 明香里と歩く!」
「うん、そのほうが助かる、じっとしてると寒いし」

明香里はそっと天之御中主神の体に腕を回した。

「明香里?」
「肩、貸してあげる、寄りかかって歩いたら?」
「うむー」

明香里の腕を腰に感じながら、天之御中主神は明香里の肩に腕を回す。
うんしょと声を掛けたくなる速度で足を上げ、下ろした。靴がついてくる分、確かに歩きやすいのであろうが、重さを感じた。

「よくまあ、明香里はこんなものを履いて、毎日俺のところに来たな」

なんだか感心してしまう。

「あはは、私からしたら下駄で来いって言われる方が嫌だよ」

明香里は笑うが。
ただ毎日来てくれるだけでも大変であったろうと、改めて思う。今更ながら、感謝の気持ちでいっぱいになる。

「──明香里」
「ん?」
「ありがとうな」

思わず礼を口に乗せた、明香里は明るく笑って答える。

「別にいいよ、なんかこんな天之(あめの)くんもかわいくていい。赤ちゃんが初めて靴を履いてお外に出た時みたいで、かわいいよ」

礼が靴の一連の事に対してだと思い、明香里はそういった。

「いや、そうではなくて……」

しかし言い正すのも気が引けて、天之御中主神は歩くことに集中した。





天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)さま」

健斗が眉間に皴を寄せ、更に額に指をあてて怒りを抑えた声で言う。

「なんだ?」

天之御中主神は拝殿に並んだ椅子のひとつに座って上機嫌に答える。

「参拝者の皆様に土足厳禁と謳っている手前、いくらご本尊と言えども履物は脱いでいただいてよろしいでしょうか」

そう言う健斗の目の前で、天之御中主神はブーツを履いた足をブラブラさせた。

「おう。俺としても脱ぎたいのだが、なんだか難しくてな」
「そんな言い訳がありますか。大体、そんな靴──ああ、また明香里さんですか」
「そうだ」

天之御中主神は嬉しそうに答える。

「明香里さんはなんでまた……しかもそんなお金、よく持っていますね」
「──お金」

世俗に疎い天之御中主神にしてみれば、それらを買うのにお金がどれだけかかるかなど知らない。

「あなたが愛おしくてのプレゼントでしょうが、彼女はきっとアルバイトなどしていないでしょう」

毎日水天宮に寄っていた姿を知っている。

「お小遣いから払っているのでしょうか、愛おしい人の為とはいえ、大変な出費だとおもいますよ」
「だったら、あの箱の金で返してやろう」

拝殿の外を指さした。

「あいにく、お賽銭はあなたのお金ではないですよ、水天宮の収入であって、社の修繕等に使われますので、あなたの私利私欲に使う訳にはいかないのです」
「私利私欲ではない!」
「ふうむ、そうですね、少しは私からも援助をしてさしあげたいですね。と言ってもお金を渡してもそのまま受け取ってはくれないでしょうから、そうだ、巫女として雇いましょう。そうしたらあなたとこそこそ逢う必要もないですし、私は彼女と逢う時間が出来て、いずれはいい仲になれば、一挙両得」
「いい仲とは!」
「そりゃ、あなたとは成り得ない関係ですよ」
「成り得ない!?」
「あなたがどういうつもりで彼女と逢っているかは知りませんが」

健斗は小さな溜息を吐いて、言葉を続ける。

「神様と人間では身分違いもいいところでしょう。この先、どんな未来が待っているというんですか? 彼女を人として、女として、幸せにして上げられるとでもお思いですか?」
「──それは」

それは、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)自身が聞きたい。
自分自身が、いつまで人の姿を保っていられるのかすら判らない。そんな状態でも明香里と逢うことが楽しみだった。明香里もまた、そうなのだろうと思っているが──神域すら出ることが叶わない自分が、明香里に何をしてやれるだろうか。

「では、早速連絡を」

健斗が袴を翻して背を向ける。

「連絡!? お前が連絡先を知っているのか!」
「ええ、存じ上げています。彼女はうちの氏子ですから」
「駄目だ、駄目だ! 明香里と口をきくな!」
「彼女が近くにいてくれたら嬉しいでしょう?」
「俺の傍にならいいが、お前の傍は許せん!」
「全く、心の狭い神様です」
「神などそんなものだ!」
「まあ、確かにそうですね。万人の願いを叶える訳ではありませんから」
「元より、願いを叶えてやれる神などおらぬ!」
「それはそうですね、自分の事すら、なにもできないのですから」

言われて天之御中主神は押し黙る。健斗が理解していると判った、顕現したくてもできなかったこと、したところで明香里の傍にずっといることもすら叶わないことも。

「まあ百歩譲って、狐さんに伝言を頼みましょうか。狐さーん」

呼ぶと、白狐は物陰から鼻先だけ出し、上目遣いに健斗を見る。

「聞いていましたね、明香里さんにアルバイト先の斡旋を伝えてください」

白狐は伺うように天之御中主神を見てから答える。

「──わたくしめは、天之御中主神さまの使いですので、天之御中主神さまのご指示しか」
「そうですね、でもその本人が嫌だと言っているのでは、やはり直接お電話して来てもらいましょう」
「だから、話をするなと!」

椅子から立ち上がる天之御中主神の靴が床を鳴らした。

「いい加減、靴を脱いでください。ああ、脱げないのですね、ならば私が脱がせましょう。まったくどこまでも手のかかる」
「やめろっ、触るなっ」

近付いてきた健斗から、天之御中主神は慌てて逃げ出す。こんなときばかりは、さっさと依代に戻れればいいのにと心から思った。