「コーヒーの一日の摂取量は一日400ミリまで行けるんすよ。だから僕が毎日飲んでる350ミリは健康なわけです」



「聞いてます?黒御《くろみ》先生」

「え、」

「やっぱ聞いてないじゃないすか」

「あ、ごめんなさい」

「いいっすけどね、昼休み終わるんでまた放課後来ますね」


そう言って彼は部屋を出ていった。

机には食べかけのお弁当。

何が起こっているの?

ここは、保健室?

私はさっき、ビルから飛び降りて…

でも、今目の前にいたのは確かに高校生の時の彼だった。


”ガラッガラッ”と扉が開く。

「黒御先生、お疲れ様です」

「あ、お疲れ様です…」

どこかで見た事のある男だ。

「3-2担任の白州《しらす》です」

「あぁ、白州先生…」

「来たばかりで、教師の多いこの学校で名前と顔を一致させるのは大変でしょ」

「そうですね、少し」

適当に話を合わせ、笑ってごまかす。

「指を切ってしまったんです、絆創膏もらえますか?」

「それは大変ですね、すぐに用意します」

絆創膏、どこにあるんだろう。

状況は少しずつ把握出来てきた。

私はこの学校に最近赴任した保健室の先生、というところなのだろう。

「二段目ですよ」

白州が引き出しを指さす。

「あ、そうでしたね」

私は絆創膏を二枚取り、白州に渡す。

「お大事になさってくださいね」

「ええ、ありがとうございます」

白州は笑顔でそういい部屋を出ていった。

愛想のいい男だ。年齢は40前後だろうか。

私は今…

何か自分のことが分かるものはないだろうか?

自分の物と思われる鞄をあさる。

財布をあけ、免許証を見つけた。

-黒御 さゆり-
1987年生まれ


つまり今は

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2018年4月になっている。

私の歳は31ということか。


保健室にある鏡をみつめる、

年よりも少し若く見える、大人の女性という感じだ。

ショートカットの黒髪。ぱっちりとした目。

生きていくのに困らなそうな顔だ。


どうして私がこの女性になっているのだろう。

そんなことはどうでもいい。

彼がいた。

私の目の前に。

大好きだった彼が。

どうして、
過去に戻ったということなのか?

そんなことが本当にあるなんて…

でも、今の私は自分じゃない。

だとしたら、私は、高校生の私はどうしているのだろう。

私のクラスは確か、3-5

白州を見た事があったのはそのせいか。

高校生の時集会以外で関わりがなかったから名前は覚えてなかったけど。

それなら直接確かめればいい。

授業中、少し保健室を空けるくらいなら問題ないだろう。

高校の作りは今でも覚えている。

自分が以前生活していた教室に行くのは容易い事だった。


廊下から中を覗く。

私の座っていた席は窓側、一番前の席。



いない。

私がいない。

なぜ?

外に貼ってある座席表を見る。

ない。

どこにも私の名前は無かった。

私が、この世界に来たから。

元々いた自分の存在は消されてしまったということなのか。

私はまた保健室に戻ることにした。


誰も来ないまま放課後になる。

“トントントンッ”
「失礼しまーす」

“ガラガラ”と音を立て扉が開く。

入ってきたのは彼だった。

「今度はちゃんと話聞いてくださいね」

笑いながらそういうと、彼は私の目の前のソファに座った。

「ええ、もちろん」

どうして彼が保健室に通っているのか、私は分からなかった。

当時の彼からそんな話は一度も聞いたことは無かった。

それに、彼はいつも友人たちと外でドッジボールやサッカーなんかをして遊んでいたはずだ。
だって、その様子を窓から見ていたから。


彼なら私のことを知っているのではないか?

三年生のこの時期なら、私と彼はすでに恋人関係のはず。

「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」

「なんすか?」

「3-5の灰谷さんという女の子を知らない?」

私の名前を出した瞬間、彼の表情が変わった。

「なんであいつのこと知ってるんすか」
苦しそうな顔。
眉間に皺を寄せ、私を疑いの目で見ている。

「ご、ごめんなさい、昔近所に住んでいた子だったから気になって、探してもいなかったから…」

彼の予想外の反応に驚き咄嗟に嘘をついた。


「そういう事ですか…」

彼の表情は変わらない。


「彼女は亡くなりましたよ。一ヶ月ほど前です。」

「…」

そんな…
私は既に亡くなっていた。
なぜ?どうして?

「な、」
「いえ、ごめんなさい。知らなくて。」

なぜ?と聞きかけたがやめた。

死んでしまった理由が気になるところではあるけど、これ以上彼に聞くのはやめておいた方がいいと思った。

彼の表情から、余裕が無いのが伝わってきたから。

「謝らないでください。しょうがないです。」
「…」

黙って彼を見つめることしか出来なかった。

「話、聞いてくれますか?」
苦しそうなまま、彼が問いかけてくる。

「ええ」
頷きながら、優しく答えた。

「彼女の話です」

「…」

「僕、彼女のこと好きだったんです」
彼は話し出した。

「俺の、せいです」
「結局、助けられなかった」
「全部、俺の、せいなのに」
言葉が沸騰した湯のように溢れ出す。
止まることがない。


彼がこんなにも取り乱して、涙を流している姿を、私ははじめてみた。

彼は話し続ける。

自分が悪かったと。

自分のせいだと。

繰り返し。繰り返し。