「咲良ちゃん?」

 困ったような蒼一さんの声が聞こえる。未だ私のパジャマを握る彼の手に私の涙が溢れた。目の前の蒼一さんは本当に私を心配してくれている。そんな優しい表情も、今は残酷なだけ。

 やっぱり無理なのかあ、そんな都合のいい話。

 心がここにないのに夫婦でいたいなんて。難しいことだったんだ、私たちはもうどうしようもできない。

「咲良ちゃ」

 呼んでいるその声を置き去りにし、私は立ち上がった。そして蒼一さんに背を向けて部屋から走り出した。

「咲良ちゃん!」

 私はそのまま自分の部屋に入り込み、鍵を掛けた。すぐに背後にあるドアが強くノックされる。苦しそうな蒼一さんの声が扉越しに聞こえてくる。

「ちゃんと話してほしい。お願いだから、抱え込まないで」

 優しい言葉が私を追い詰める。私はそれに答えず首を振った。

「……今は一人にしてください」

 こんな情けない姿を、顔を見られたくなかった。無造作にボタンが開いた洋服。初めて蒼一さんと夜を過ごした時の虚しさが蘇る。

 女として拒絶されることがこれほど痛いなんて。

 しばらく沈黙を流した蒼一さんは、少しして小さな声でいった。

「分かった、でも落ち着いたら必ずちゃんと話して。待ってるから」

 そう言って、私の部屋の前からいなくなった気配を感じた。

 私はただ呆然とその場に立ち尽くし、涙でぐちゃぐちゃになった顔もそのままにしていた。

 フラフラとおぼつかない足取りで、近くの引き出しを開く。そこには以前、蒼一さんが買ってくれた結婚指輪があった。あのパーティー以降、一度も付けられていない。

 蒼一さんはしっかり指輪をしてくれていることに気がついていた。それは素直に嬉しかった。だが、普通に考えれば仕事もある彼が指輪を外していては仮面夫婦ですとバラすようなもの。ご両親のこともあるし、付けざるを得なかったんだろう。

 新品同様のそれを取り出す。彼が贈ってくれたそれはあまりに美しく、愛しかった。

 じっとそれを眺めながら、もう引き返せないことを悟る。

「……いい加減、ちゃんとしなきゃ」

 鼻声の自分の言葉が溢れた。

 

 一方的に好きなだけじゃ何も変われない。

 何も生まれない。

 人の心は操れない。