綾乃は電話口で笑う。その笑い声は、子供の頃から聴き慣れている声だ。

 彼女は物心がついた頃から婚約者だと親に紹介された幼馴染だ。時間があれば互いの家に行き来をする仲で、幸運なことにとても気の合う女性だった。

 いつも明るく眩しく、どこか奔放な性格をしていて、妹とは正反対と言える。

「それで、どうした。綾乃と連絡を取ってるなどと周りにバレると厄介だから連絡はなるべく控えてほしい」

 結婚式を逃げ出した彼女は、その後も消息が掴めない存在だった。それでも、彼女の両親は未だ血眼になってその行方を追っている。

『いや、咲良とどうなったかなあって心配になっちゃって』

「大きなお世話」

 私がぶっきらぼうに答えると、綾乃は意地悪く囁いた。

『そんな口聞いていいの?
 あんたの報われない想いを叶えてやったのに』

 私は一つ大きなため息を漏らした。

「新婚、だなんて形だけだ。こんな形で無理矢理嫁がされた彼女に、触れられると思うか」

『え? 何もしてないの?』

「するつもりもない。ただ、隣で寝ているというだけでいい」

 罪悪感に押しつぶされそうな胸を押さえた。あの肌に触れられたらどれほどいいか。そんな資格は自分にはない。

 手を緊張で震わせながら体を小さくしてる人にどうして触れることができるか。そんな立場にしたのは紛れもなく私だというのに。

『……あら、結構鈍いのね蒼一』

「え?」

『んーん、まあいいや。結婚したんだからあとは二人に任せるよー。私は楽しくやってくから、振り込みお願いね』

「分かってる」

 短く答えて電話を切った。それをポケットに仕舞い込み、ため息をついて空を見上げた。

 心やさしいお兄ちゃん、と咲良に思われているだろうに、そんなお兄ちゃんがこんなことを裏でしていると知ったら彼女はどんな顔をするだろう。

 どんな手を使ってでも君をそばに置きたかった。他の誰かに渡したくなかった。

 でも、形だけの夫婦となっても心も体も手に入らない。

 好きな人を妻に出来た喜びと、自分の犯した罪の重さ。あの子の人生を狂わせてしまったのは紛れもなく私だ。

 こんな黒い感情が自分にあるだなんて思わなかった。咲良、ごめん。君をどうしても誰にも渡したくなかったんだ。

 許して欲しいとは言わない。愛してほしいとも言わない。

 ただ、私のそばにいてほしい。





 秘めた二つの恋心。

 すれ違う男と女。

 知るのは輝く満月のみ。