家の近所に有名なケーキ屋があり、ぎりぎり開店していたので走ってバースデーケーキを買いに行った。戻って冷蔵庫にしまったあと、涙で化粧もボロボロであることに今更気づきメイクを直す。

 ちょうど完成した頃蒼一さんが帰宅する音が聞こえた。私はなるべく普段通りを振る舞い彼を出迎えた。

 新田さんと一緒にいたことを咎めはしなかった。咎めることで蒼一さんと気まずくなるのは嫌。だからこそ私は何も言わず、彼の嘘を受け入れたのだ。

 蒼一さんはいつもとなんら変わりなく家に帰宅する。笑顔で食卓のご馳走を見て喜び、それをたくさん食べてくれた。本当は新田さんとゆっくり食事をしたかったのに、あまり食べずに帰ってきてくれたに違いない。

 それでもやはりケーキは食べられない、と言われ冷蔵庫に戻った。蒼一さんはそのままお風呂に入り、私は後片付けを進める。

 沢山のお皿を洗いながらぼんやり考える。この形だけの結婚生活は、いつまで続くんだろう。

 本当は私以外の人と結婚したいのかな。結婚を辞めた方が蒼一さんは自由になれる。でも、そうしたら私は蒼一さんのそばにいられなくなってしまう。

 今の生活は辛くて幸せだった。ずっと好きな人と一緒にいられる喜びと、女として見られていない悲しみが混ざっている。もし離婚したら? 蒼一さんをキッパリ諦められるきっかけにはなる。

 ただ、それでも——

「お風呂お先でした」

 声にハッとする。髪の毛が濡れたままの蒼一さんがリビングに入ってきていた。私は慌てて笑顔を取り繕う。

「いいえ。お酒飲まれますか?」

「ううん、今はお腹いっぱい」

「料理たくさんありましたもんね。私もお風呂いただきます」

 手を洗い流しながら言い、その場を後にしようとした。だがしかし、それを止めたのは蒼一さんだった。

「咲良ちゃん」

 リビングから出ようとしていた足を止める。振り返ると、どこか怖いくらいの顔立ちをしている蒼一さんが立っていて驚く。
 
 色素の薄い茶色の瞳にとらわれる。私は体が動かなくなってしまった。

 じっと私を見つめていた蒼一さんは、次にふっと顔を緩めた。寂しそうな顔にさえ思えた。

「ごめんね、お腹いっぱいだから、今日はケーキ食べれそうにないんだ。明日貰うね」

 それだけ言うと彼は私に背を向けた。立ったままテーブルに置いてあるお茶を手に持って飲む。そんな彼の後ろ姿を見て心の中で呟いた。

……ああ、そうか。

 だってケーキは、新田さんと食べてきたんですもんね。

 胸がぐっと痛んで穴が開きそうだった。書類上夫婦である私に義務を果たすため、彼はこの家に帰ってくる。縛り付けているんだ、たった紙切れ一枚の関係が蒼一さんを。

 私は拳を握った。だったら言ってくれればいい、正直に。こんな結婚生活終わりにしようって、蒼一さんから提案してくれればいい。

 そしたらこの片想いもようやく終わりを告げられると言うのに。

 そばにいればいるほどあなたが遠い。遠いのに好きになる。あなたを自由にしてあげたいのに、隣にいたいがために私は今の生活を終わりにできない。