誰かの前で堂々と咲良が好きだと言えるこの青年が羨ましかった。眩しくて、そして敵わないと思った。

 私がずっと抱いてきた咲良への気持ちを漏らしたら? 本人に伝わったら? 綾乃と共謀していることがバレたら? 咲良は必ず失望し私から離れてしまう。

 そんなことが恐ろしくて私は何も言えないんだ。七歳も離れた婚約者の妹をずっと好いていたなんて。そんなこと、誰が口に出来る?

 彼のように咲良が好きなんだと正直に言えたならどれほど楽なんだろう。私も咲良と同級生だったら、綾乃と婚約してなかったら、なんて。言い訳ばかり並べるのは全て自分の弱さだと分かっている。

「……咲良ちゃんのこと、本当に好きなんだね」

「好きですよ。正直、異性の中で一番仲がいい自信はあります。ずっとそばで見てきました。あいつはちょっと人に気を遣いすぎるところがあります。そんな優しいところが不器用で、それでいていいところだとも思っています。
 お願いしますから、なんとか咲良を解放することはできませんか」

 懇願するように言い、彼は私に頭を下げた。短い髪が垂れているのを見て、私は情けなくも何も言葉が出なかった。コーヒーを啜って自分を落ち着かせることすらできない。

 蓮也の正直さ。自分の情けなさ。それは頭を思い切りぶん殴られたかのような衝撃が私を襲った。

「……頭を上げて」

 私の言葉に、蓮也がゆっくり顔をあげる。彼の目と合う。私はぐるぐる回る頭を必死に働かせ、彼に言う。

「咲良ちゃんには申し訳ないと思っている」

「なら」

「でも、これは僕たちの問題だ。もちろん蓮也くんの気持ちも分かるし怒りを持つのももっとも。
 しかし、頼まれたからと言って僕からすぐ終わりにはできない。ゆっくり咲良ちゃんと色々話していかなきゃ」

 私の言葉に彼は不服そうに口を強く閉じる。私はそれ以上、蓮也の目に見られることが辛くて耐えられなかった。すぐに伝票を手に取って立ち上がる。

「あの!」

「君の言いたいことはよく分かった。ありがとう。でも今すぐに返事はできない。これでも僕と咲良ちゃんは夫婦だから、ちゃんと二人で話し合って決めないといけないから」

 早口にそれだけ言いすてると、私は彼の方をチラリとも見ずに背を向けた。伝票と共に財布から出した札を置いてお釣りも受け取らずそのままドアを開けて外に出た。もう真っ暗な中を、逃げるように歩いた。

 蓮也はもう追っては来なかった。一人分の足音を耳に聞きながら、それでも足を遅めることなくどんどん歩いていく。

 夫婦だから? ちゃんと二人で話し合わないと?

 自分で言った言葉に失笑する。履いている革の靴を見下ろしながら唇を噛んだ。

 全て蓮也の言うとおりだ。縛り付けている私に逃げたいと言えない咲良。解放してあげられるのは私だけ。

「……なんで、こんなに自分は情けないんだ」

 小さく呟いた声は黒い空に登って消えた。それを追うようにゆっくり顔をあげると、心とは裏腹に綺麗な星空と月が見えていた。

 胸に広がる夜の色までは、月も照らしきれない。