分かっていた。彼が言うことを。あの日街中で会った時、私に向けられた敵意に満ちた目を忘れてはいない。綾乃の身代わりに咲良を嫁がせた私への憎しみが燃えていた。

 運ばれてきたホットコーヒーをそのまま飲んだ。決して余裕があるわけではなく、むしろ自分を落ち着かせるために飲んだホットだった。

 蓮也は続ける。

「聞きました。咲良の姉ちゃんが当日逃げて、政略結婚だったから穴を開けるわけにもいかなくて、それで咲良が立候補したこと」

「合ってるね」

「そして本当にそれが受け入れられてしまった。そのまま咲良はあなたの妻として今もいる」

「その通りだよ」

「家のためだと言っても、なんでそんなことができるんですか」

 怒りの声がぶつけられる。私の返事も聞かず彼はなお続ける。

「咲良はあの性格ですから、自分からあなたに離婚なんて言い出せないです。だからあなたから解放してあげてくれませんか、それともこのまま一生咲良を縛り付けていくつもりですか?」

 返す言葉が無かった。

 ずっと年下の彼が言うことは正論だ。咲良が周りに気を使う子だと分かっていながら綾乃を逃した。案の定当日咲良は私の相手に立候補した。そのまま逃げることなく今に至る。

 綾乃が見つかれば解放される。きっとそんな希望を持って今私のそばにいてくれる。形だけでも妻として努力してくれている。

 そんな優しさにつけ込み、甘えている自分。

「会社とかの問題はあるでしょうけど。天海さんならきっと他に相手はいっぱいいるでしょう?」

「いない!」

 自分の口から強い言葉が出た。

 ずっと黙って聞いていたが、これだけは黙って聞いていられなかった。

 違う相手なんて。私は結婚したいと思う相手は咲良しかいない。他の人間なんて、誰もいらないんだ。

 私の剣幕に蓮也はやや驚いた顔をしたが、すぐにまた真顔になった。

「子供の頃からずっと婚約してた相手じゃなくて、当日その妹と結婚できるなら、誰とでも結婚できるじゃないですか」

「……咲良ちゃんとは幼い頃から知ってる仲だから。だからできた。彼女のいいところはよく知ってる」

「俺はずっと咲良のことが好きです」

 キッパリと断言したセリフを聞いて固まった。目の前の青年は揺るぎのない目を私に向けている。

「昔からずっと。咲良が好きです」

「…………」

「いつか本人にも言おうと思ってました。それで振られたとしても別にいいんです。でも、姉の身代わりに無理矢理結婚したなんて話はどうしても納得できないんです!」

 何かいおうとして、自分の口から漏れたのは空気だけだった。音は何もこぼれてはくれない。