ある朝。あたしは、不思議な夢を、見た。
スヤスヤ…。スヤスヤ…。
?『…る…、か…る、…ひ…か…る…。―光…琉…。あぁ、私の可愛い可愛い、光琉―。』
?『ん…。』
あたしは、ベッドの中でぼんやりと微睡み、重たい眼を軽く擦って目を開けた。そこには、あたしのベッド脇においてあるチェストに腰掛け、優しく微笑み語りかける女の人。
見たことはあるけど、ぼんやりとしか思い出せない。
?『??――こ…わ、…ど?…あ、なひゃは、れにゃな…?(ここは、どこ?貴女は、誰なの…?)』
 私は、たどたどしい発音で、見慣れない女の人に思い切って、尋ねてみた。
?『やっぱり、忘れていたのね…。無理もないわ。あんな事があった後では…。…私は、貴女のお母さんよ。ここは、貴女の夢の中。』
光「あ…しの、ゆえにょ、な…?(あたしの、夢の、中…?)」
 その、母親らしき人は、哀しそうな笑みを浮かべた。その光景に、ズキンと胸が締め付けられそうな感覚に陥った――。

 覚えてないのも無理もない。そう。あたしは、産まれてすぐに高熱を出し、1週間程熱が下がらなかった。その後遺症の為か、単語が上手く発音出来ない。同年代の男児・女児達からは、『下手くそが伝染(うつ)る』、『ムッツリが来たぞ〜』等と誂(からか)われ、大人までもが、見て見ぬフリをしだした。その上、極度の人見知りと来た。
 そして、もっと喋りづらくなり、外に出られなくなる最大のきっかけが、突如、私に降り掛かった。2歳になった頃、最愛の両親が、交通事故に巻き込まれ急逝した。
 当時のあたしは、発育が人より遅く、聴力も後遺症で落ちていた為、自分の声が聞こえづらかったが、平仮名の音読トレーニングをすることで、少しずつ、色んな声が聴こえて来た。大人たちが話す楽しい話。悔しい話。詳しい内容は、小さなあたしには、あまり分からなかったけど、面白かったし、聴こえることが何よりも嬉しかった。公園で、遊ぶのが、毎日の日課に成りつつあり、楽しみになった。
光「きょ…は、ぶりゃんこ、こ、で、みょう…か、にゃ。で…も、わかんにゃぃ。ど、しょ…かな…。(今日は、ブランコ、漕いでみようかな。でも、わかんない。どうしようかな…。)」
光「…あ、にょ。(…あ、の。)」
男の子「ん?どうしたんだ?何か困りごとか?」
光(…わぁ〜!カッコいいお兄ちゃんだ〜!それに、優しそう!今までの男の子達とちょっと違うけど、教えてくれるかなぁ?…う〜〜。ええーい、ヤケクソだー!ダメもとで、当たってみよう!)
光「…えっとっ…と、ぶりゃんこにょりひゃいけど、わから、なくて、お、お、おしぇ…てほ…く、て。(…えっと…、ブランコ乗りたいけど、わからなくて、お、教えて欲しくて…。)」
男の子「フン。なんだ、そんなことか。ケッ!つまんねぇの!」
光(∑!?ビックリしたぁ〜。ただ、ブランコに乗りたいから、聞いただけで…。そんなに邪魔っけにしなくたって…。あたしの人生最大の一大決心を踏みにじった、アイツ!めちゃくちゃ、腹立つわぁ〜!!今度会ったら、同じことしてやりたいわ!覚えてろ〜!ヽ(`Д´)ノプンプン)

どれもわたし自身を否定する声ばかりだった。その日から、わたしの生活は、一変した。
 毎日、1人で2階建てのリビング、大好きなぬいぐるみ達に囲まれて育った。俗に言う“引きこもり”だ。
 でも、引きこもりになって、見つけた楽しみもある。毎日の料理を作る事だ。
 その中でも、1番の得意料理は、おにぎりだった。余り美味しく出来てはいなかったけど、“作る”という楽しみを覚え、後片付けも3歳ながらも出来る様になっていき、簡単な単語も少しなら話せる様になっていた。
 光「あ、と、しゅこしで、たんしょうひ!(あと少しで誕生日!)」
 この日の晩、誕生日の事に浮かれていたわたしは、就寝前にとんでもないものを見つける事になる。生前、両親から、『2階にある、この部屋に絶対入っては、ダメ!』と強く念を押されていたのをその日に限って、入ってしまった。そこには、殺風景な部屋に似合わず、ピンク地にクマ柄の水玉模様をあしらい、可愛くラッピングされた袋を見つけた事で、興味が湧き、もっと中を見てみたいと思い、封を開けた。
 そこには、古ぼけていても、強く不思議な、それでいて、暖かい輝きを放つ大小二刀を象ったイヤリングとネックレス。シルバーの指輪2個。右手の皮手袋、そして、簡単な男物の着物1着分、女物の着物1着分それぞれ用意されており、その傍らに、誰かに宛てた手紙が添えられていた。
 これが、現代との訣別(けつべつ)になるとも知らずに―。