「あれ?」

朝起きると、机の上に置いていたレインドームの雨が止んでいる。

昨夜眠る前に見たときには、小雨が降っていたのに。今はガラスドームの中に桜が満開に咲いている。


ひっくり返してみてもスイッチのようなものは見当たらない。
もう願いを叶える時間は終わったとでも言われているみたいな気がして、不思議な現象なのに、あまり驚くことなく受け入れている自分がいる。

守ってもらっていた時間はもうおしまいだ。

スマホを開いて画像フォルダを開いてみる。そこには仲が良かった頃の真衣と由絵、英里奈の画像がたくさん残っていた。


手に汗を握りながら、おそるおそるSNSを開く。

私のアカウントは復活していて、捨て垢からきたメッセージも残っていた。
なりすましアカウント〝S〟を探してみると、アカウントが存在している。けれどバレンタインデーを最後に更新が停止していた。


今日からまた、みんなの記憶が戻るはずだ。裏垢だってまた暴れるかもしれない。


足が竦みそうなほど怖くても、向き合っていかなければならないことがある。
心を壊してまで無理して学校へ行く必要だってないし、逃げる方法だってあるのだと思う。


だけど私は、もう一度あの場所で立ち向かいたい。

私はなにもしていない。だからこそ、俯かずに堂々としていたい。

学校へ行き、ロッカーの中にコートをかけていると、近くにいる女子たちが私のことを見ていることに気づいた。


「よく学校来れるよね」
「私だったら普通に無理なんだけど」

小声で話しているけれど、しっかりと私の耳まで届いてしまう。冷ややかな視線は、決意をしたばかりの私の心を萎縮させていく。

あの日常が戻ってきたのだと実感し、心臓が痛いくらい速い鼓動を繰り返す。

クラスへ行けば、今以上に厳しい視線と言葉が浴びせられるはずだ。


「おはよ、宮里」

背後から聞こえてきた声に、俯きかけた顔を上げる。
コートを来ている時枝くんが立っていて、ちょうど登校してきたところらしい。


「おはよう、時枝くん」

彼の笑みは、沈みかかった私の心を救いあげてくれる。

時枝くんは自分のロッカーにコートをかけながら、壁際でかたまっている女子たちを見て顔を顰めた。周りが私に注目していることに気づいたみたいだ。

その視線から守るように立つ位置を変えると、そっと耳打ちをしてくる。


「少し話さない?」

まだ予鈴まで時間があるので、私は頷く。

痛いくらいの視線を浴びながら、私と時枝くんはふたりで何度も行った四階から屋上へと続く階段まで向かった。

階段の途中で腰を下ろすと、時枝くんは硬い表情で話を切り出してきた。


「全部元どおりになったんだな」
「うん、あの裏アカウントも復活しているみたい」

私のスマホにも真衣たちと撮った画像や連絡先のデータが存在している。消えた現実は完全に元どおりになったのだ。


「宮里は思い出される方を選んだってことだよな」
「……忘れられたいこともあるけど、忘れたくないこともあったから。それを失うくらいなら立ち向かいたいって思ったの。……時枝くんと未羽のおかげ」

私の声が届かない人もきっといる。嘘つきだと言って、嫌う人もいるだろう。

それでも、クラスの中の世界だけが全てじゃない。私にはこの先の未来だってあるのに、今のこの環境に怯えて心を病んで諦めたくない。

強がりでもいいから、周囲の言葉や悪意に窒息してしまわないように、前を向いて自分の幸せは私の手で作っていきたい。


「宮里はこれからどうするか考えてる?」

裏アカウントの犯人じゃないと話しても、すんなりと信じてもらえるようにも思えないし、急に事が収まるわけでもない。

この状況がしばらく続くのではないかと、時枝くんは心配してくれているようだ。


「まずは真衣たちとは話さないとって思ってる」

真衣たちの誤解すら解けない可能性は高いけれど、一度面と向かってきちんと話しておきたい。

「その前に、なりすましの犯人探した方がいいんじゃない?」

時枝くんの言葉に、私は内心どきりとした。


「小坂たちと話した方がいいのはわかるけど、その前にあいつと話すべきだと思う」

誰がなりすましの犯人なのか、時枝くんは確証を持っているようだった。私も犯人の予想が全くつかないわけではない。

けれど私が犯人ではないと証明することができないように、その人が犯人だという証拠もない。違うと言われたらおしまいだ。


「とりあえず、試してみたいことがあるんだけど」
「試してみたいこと?」

時枝くんはスマホを取り出すと、例の私のなりすましアカウントを検索した。

画面に〝S〟というアカウントが表示されて、思わず目を覆いたくなる。

時枝くんが設定のマークを押すといくつかの項目が表示され、その中の【パスワードの再設定する】のボタンを押した。


「一体なにしようとしてるの?」
「このアプリって、電話番号の登録が必須だろ」
「え、うん。そうだね」

いくつでもアカウントを作成できるけれど、電話番号を登録しなければならないのだ。


「なりすましのアカウントを乗っ取っちゃうってこと? だけどパスワードの再設定なんてアカウントを作った本人じゃないとできないよね?」

ログインするためには、電話番号とパスワードが必要になる。ログインできていないとパスワードの再設定もできない。


「それが目的じゃない。ほら、これ」

下の方にある〝パスワードを忘れた場合〟というリンクに飛ぶと、【パスワードの再設定を希望しますか?】という文章が表示された。


「これって……」

再設定のためのコードを送信という欄に、*印と数字が書いてある。

「ここを開くと登録している電話番号の末尾二桁がわかるんだよ」
「あ……!」

初めて知った方法に私は目をまん丸くする。


「昨日の夜に色々と調べてたら、アカウントが身近な人にバレる可能性があるって記事を見つけたんだ」
「それって私じゃないって証明できるってことだよね」

表示された末尾の二桁は私の番号とは異なっていた。念のため家族の番号も確認したけれど、合わないため身内のスマホを借りたという疑惑も消せる。

「確認してほしいんだけど、このクラスのことをよく知っている、同じ末尾二桁のやつ身近にいない?」

私は連絡先を開いて、石井未羽、落合由絵、小坂真衣、山崎英里奈と親しい友達の番号をあいうえお順で確認していく。


「……宮里」

私はスマホを握り締めたまま俯いた。
予感はしていた。だけど内心勘違いだったらいいのにと思っていたんだ。


「同じ末尾は誰だった?」

私が彼女の名前を口にすると、時枝くんは驚くことなく静かに納得したように「そっか」とため息混じりに言った。

「……ちゃんと話してみる」

末尾二桁が同じといっても、まだ否定することはできるはずだ。けれど私と親しくて、よく知っている人で同じ二桁なのはひとりだけ。ほぼ確定だ。


「宮里、話すのが怖ければ俺も立ち会おうか?」

時枝くんに助けを求めれば、一緒についてきてくれて心強い。心ない言葉を浴びせられるかもしれないし、疑われたと騒がれて状況が悪化することだってあるはずだ。

それでも彼に甘えてばかりではいられない。

「大丈夫。ふたりで話をしてみる」

私はスマホをブレザーのポケットの中に仕舞って、緊張で冷たくなった指先を握り締めた。