この会社に入社して約7年。もうなれすぎてしまったこの席で、彩響は今日も変わらない様子でパソコンを見ていた。毎月繰り返す締切も、徹夜も、もう体にしっかり馴染んでいる。しかしそんな彩響にも、最近は少し変わった「趣味」というものができた。それはー


「峯野主任、最近自炊してるんすか?主任が料理本なんて、珍しいっすね。」


決済書類に押印を貰いに来た佐藤くんが、彩響の机の上においてある料理本を見て聞く。大したことでもないのに、その質問になんだか恥ずかしくなる。彩響は誤魔化すように本を手で隠した。


「いや…。自炊とかしてるわけじゃないけど、ちょっと興味があって…。ネタになるかもしれないし。」

「あ、それ良いっすね。最近の若者は昔と違って車には興味なく、その代わりにお弁当男子とか流行っているらしいし。今度特集企画として有りかもっすね。『今流行りのお弁当男子はどんなメニューを好むのか?!』とか。」

「佐藤くん、あなたももう立派な仕事人間だね…。」

「それ、主任にだけは言われたくないっす。」

二人で息ピッタリのディス戦(?)を披露して、彩響は押印をした書類を渡し佐藤くんを帰らせた。そして引き出しを開け、さっきの本を入れる。その中にはもう既に別の料理本が様々なジャンル別に入っていた。イタリアンに、和食に、お菓子作りまで。いろんな本を見ていると、今度は又なにを作ってみるか、楽しい想像が頭の中で膨らむ。


(ブラウニーとか簡単そうに見えるんだよね。今週はそれにしようかな。確か、林渡くんに手伝ってほしいとお願いすればー)


ここまで考えて、一瞬手が止まる。家にいる家政夫くんのことを考えると、気分が重くなる。彩響は引き出しを閉じ、又モニターへ視線を戻した。



オープンキャンパスに参加してきた日の次の朝。家に気まずい空気が流れる中、彩響は出勤の支度を終えリビングへ出た。するとキッチンから林渡くんが明るい声で彩響を迎えてくれた。

「おはよう、彩響ちゃん。朝ごはんできてるからちゃんと食べてね。」

「あ…おはよう。用意してくれてありがとう。」

「いいえいいえ。これが俺の仕事だから。」

「あの、昨日はー」

「今日も遅くなるの?夕飯なに食べたい?」


彩響の話を止めるかのように、林渡くんが別の話題を出す。彩響は早速彼の意図を察し、その質問に答えた。

「今日は遅くなるから夕飯はいらないよ。」

「そうか。じゃあちゃんと食べたもの写メ撮ってね。後で見せて貰うから。」

「はい…。」


その後、結構日にちが経ったけど、未だに林渡くんとは円満な雰囲気を維持している。普段どおりご飯を作ってもらって、家事もやって貰い、たまには冗談も交わしながら。彩響もあえて難しい話題には触れようとしなかった。そして最近では、彩響がキッチンで何かを作る度に隣で色々と面倒を見てくれている。

先週作った炊き込みご飯も美味しかったなーと思いながら、彩響はスマホの中の写真集を一回見回した。様々な料理がお皿の上に綺麗に乗っているのを見ると、気持ちが良くなる。そしてこれを全部自分が作ったと思えば、更にテンションが上がるのだった。

(まあ、林渡くんは何の文句も言わずいつも料理に付き合ってくれるし、仕事も普段通りこなせるし、表面的にはなんの問題もないけど…)