「懐かしいな」

 私の生まれ育った街にスポーツカーを乗り入れて、九条くんが最初に言った言葉はそれだった。

 北関東の地方都市は、東京に比べれば時間の流れもずっとゆっくりしていて、風景もそれほど変わらない。
 駅前の繁華街はともかく、私の実家のある辺りは、20 年前とほとんど変わっていなかった。

 だから九条くんはカーナビを使わずに、純白のスポーツカーを私の実家の前にぴたりと停めることができた。

 九条くんは紺のソフトスーツ、私は淡いグレイのセミフォーマルといった装いで、私たちは並んで実家の玄関のインターホンを押した。

『はーい』と、お母さんの声。

「ただいま、お母さん。九条くんも一緒だよ」  

 玄関の向こうでバタバタ音がして、勢いよく開いたドアの向こうには、お父さんとお母さんの笑顔が待っていた。  

「──それにしても、立派になったねえ、正臣くん」

 畳に座布団を敷き、座卓をみんなで囲むといった風情で私たちの婚約報告は始まった。
 私が子供の頃はそれが当たり前の景色だったけど、いまさらながら胃が痛くなってくる。

 お父さん、お母さん。 
 あなたたちの前に正座しているその人は、日本有数の大金持ちなんだよ──!

 そんな私の心の叫びも知らずに、お父さんはくどくど昔語りを始めてしまう。 

「理恵と真理が、きみのお宅へ遊びに行っていたのが、つい昨日のことのようだよ。そう言えばきみのお母さん、再婚されたんだってね」
 
 お父さん、お願いだから地雷踏むのは止めて──。

「はい。母は今、事情があってシンガポールにおりますが、僕と理恵さんの婚約をとても喜んでくれました。ただ、先方の事情で顔合わせや結納は難しいようで、僕に、くれぐれも早川さんには、謝っておいてほしいと」

 九条くんはそんな私の両親に、暖かな声でよどみなく接してくれる。

「ああ、きみのお母さんが再婚されたのは、アラブのお方だって理恵から聞いたよ。イスラムさんじゃあ、結納や両家顔合わせは難しいだろうなあ」

 私の願いも虚しく、お父さんはニコニコしながら地雷を踏み抜いていく。

 生きた心地がしなかったけど──。

 九条くんはいつもと同じ優しい笑顔で、座布団の上に正座していてくれた。