ふいにそう言った先輩の表情が、少し翳って見えた。

「レッスンは大変じゃないか?」

しかしそう思ったのも束の間、先輩はすぐに話を変えてしまった。
今の表情は私の気のせいだったのだろうか。
いつもの笑顔に戻った先輩に向かって、違和感を抱きつつも頷く。

「そうですね。たしかに大変ではあるんですけど、その分やりがいはすっごくあります」

毎日のように事務所で行っているモデルのレッスンを思い出す。
それはウォーキングやポージングの基礎練習、美しい体をつくるための柔軟や筋トレ、果ては栄養管理やメンタルトレーニングの座学まで幅広いものだ。
私は特にヒールの高い靴を履いてのウォーキングを大の苦手としていた。
今までスニーカーやバッシュ以外の靴なんてほとんど履いてこなかったから、まるで竹馬に乗りながら歩いてるかのようにふらついてしまう。
足にいくつかの肉刺をつくりながら、けれどそれでも頑張れるのには訳があった。

「モデルのレッスンって、バスケの練習と同じなんです。努力した分だけ自分の力になっていくのを感じられるのが楽しくて」

バスケをやっていたころ、私は日々成長していく自分にやりがいを見出していたけれど、モデルもまた同じなのだ。
苦手なウォーキングだってまだ覚束なくはあるけれど、度重なるレッスンのおかげで初期よりは見違えるほどよくなった。
このままレッスンを積んでいけば、きっともっと上手くなるだろう。
そう考えると、楽しみでしょうがない。

「昨日は美亜さんと一緒に宣材写真の撮影させてもらったんですけど、やっぱり彼女の表現力はすごかったです。でも私、同じモデルとして生きていくなら、美亜さんにだって負けないくらいに自分を磨いていきたいって思うようになりました」

心が燃え上がるくらいに熱くなる。
新たにできた夢を噛み締めるたびに、私は奮い立つように前を向けるのだ。
そう言うと、七海先輩は満足そうに笑ってくれた。

「そういうとこを見ると、礼ってやっぱ根っからの体育会系なんだと思うな」

「ふふっ、そうなのかもしれません」

「すげーきらきらした顔してるよ、ほら」

どうやら話をしているうちに、先輩はヘアメイクを完成させてしまったようだった。
鏡を見るように促され、私の目に魔法にかかった自分が映る。
いつの間にか肩を越すまでに伸びた髪は、動きをつけて巻かれていた。
目尻にはピンクのアイシャドウがアクセントのように効いており、あまりのかわいさに胸をときめかせる。

「この毛先の動き、我ながらかなり上手くいったと思うんだけど」

「メイクの色味もバラみたいなピンク色でとてもかわいいです」

「だろ? 今日は衣装の白いワンピースに合わせて、テーマは“恋する乙女”なんだ」

「恋……?」

その単語を聞いて、私の脳裏にはMV撮影のときのことがよみがえっていた。
恋をしたことのない私は、恋する女の子の気持ちを表現するのに苦戦したのだ。
恋はよく“落ちるもの”だと言うから、まさしく強くて鮮やかな衝動なのだと思う。
私はそんな気持ちを、先輩に出会ったときの自分と重ねながら演じた。
そう、七海先輩に……――。

「礼は好きなやつとかいないのか?」

続けざまに先輩から問われたことにハッとする。

私は恋なんてしたことがない。
けれどあのとき土壇場で、私は恋する少女を先輩に世界を変えてもらった自分に見立てたのだ。
深く考えてはいなかったけれど、それってもしかして、私が先輩に恋をしていることと同じなのでは……?