うしろと正面

「……玄関に戻ろう」

 晋哉くんは青冷めた顔で呟く。


 とにかく、この場から離れたい。

 それは、みんなも同じなんだろう。

 まっすぐ、来た道を戻る。

 自然と、歩みは速まっていく。


「おかしい……絶対変だよ、この家……」

 弥生は泣きそうな顔で言う。

 いつも冷静な彼女ですら、動揺をあらわにしていた。


 ――怖い。

 一度言葉にしてしまうともう駄目で、得体の知れない恐怖が、体の底から這い上がってくるのを感じた。

 心拍数がどんどん上がり、胸が苦しかった。


 エントランスホールが見えてくる頃には、もはや歩くスピードではなくなっていた。

 勢いのまま玄関扉に駆け寄ったわたしたちは、叩いたり、蹴ったり、どうにか突破を試みる。

 しかし、扉はびくともしない。


「くそっ……どうなってんだよ!」

 ダンッ! と、弘毅くんが思いっきり拳を叩きつける。

 その時だった。


 キィンと耳鳴りがした。

 頭の奥に響くような、その嫌な音は、収まることなく鳴り続ける。

 それに混ざって、どこからか別の音が聞こえてきた。

 ずるずると何かを引きずるような音は、次第にこちらに近づいてくる。


 な、何……?


 異常事態を察した体が強張る。

 金縛りにあったかのように、この場を動くことができない。

 ごくりと、誰かが息をのむ。

 わたしたちは固まったまま、音のするほうを凝視した。


 音は不規則だった。

 ゆっくり1歩進んだかと思えば、続けて3歩進んだり……
 正常な足取りをしていない。


 前方の、長い廊下の途中にある曲がり角。
 その床に、影が落ちた。

 そして――


「ひっ――」

 自分の口から漏れる悲鳴を聞いた。

 全身の毛が一気に逆立つのを感じる。

 『化け物』――

 姿を現したソレを前に、他に言葉が見つからなかった。

 蠢く黒い何かに覆われた体は、膨張と収縮を繰り返している。
 そのたびに、頭が、腕が、足が、ありえない形へと変貌する様子が遠目からでもわかった。

 抱いた忌避感は収まるどころか、どんどん膨れ上がっていく。

 あまりのグロテスクさに、誰もが言葉を失う中、ギョロリと光る血走った目が、こちらを向いた。

 しっかりと、わたしたちをとらえた。


「アアァアアアアアアアアアァ!」


 建物全体を揺るがすような化け物の咆哮とともに、天井のシャンデリアが破裂した。

 化け物の声に、わたしたちの悲鳴が重なる。

 ガラスの破片が降り注ぐ中、走り出した化け物が、まっすぐこちらに向かってくるのが見えた。


「逃げろ!!!」

 弘毅くんが叫ぶ。
 その声に弾かれたように、体が動き出す。

 頭の中は真っ白。
 いや、恐怖一色だった。

 どこに行けばいいのかわからない。

 でも、ここにいちゃいけない。

 とにかく、ここから逃げないと――