腕を掴み引き上げられたが、お互いのタイミングが合わなかったのか。体勢を崩した男性が、つられてよろけた私の身体を支えようと抱きしめたため「え?」と驚き見上げた私の頬に、男性の唇が触れた。

 それは、ほんの一瞬の出来事で。こんなハプニングに、いちいち大騒ぎする様な年齢でもないことくらい分かっているのに。
 時が止まったような気がした。


 離された唇を追いかけるように、見つめてしまっていた私の手を取った男性は、周囲を見渡し腕につけていた私の腕時計に視線を落としながら「ねぇ、時間ある?」と尋ねてきた。


「少しなら」


 本来、私は本社に向かっていたのだから「少し」も時間はないはずなのに。男性に対し時間を与えてしまう言葉を返してしまっていたのだ。


「じゃあ。真島優羽(ましまゆう)さん、行こうか」

「は?」


 突然の申し出に目を丸くした私の手を引くと、男性はどこかへ向かい歩きだした。


 ちょっと待ってよ、私この人に拉致されるの? いったい何処へ行くつもりなの? そもそも、この人って何者なの? どうして私の名前を知ってるの?


 手を引かれながら男性の背中を見つめ、何度も問いかけたけれど。心の声が男性に届くわけがない。