あの時のことが、昨日のことのように蘇ってくる。一緒に灘萬(なだまん)のお弁当を食べて、勧進帳の話をして……そうだ、御苑屋の屋号も声を合わせて叫んだ。絶妙なタイミングに、大向こうさんのようだったと思ったことを思い出す。
「ご隠居!」
彼に向かって真っ先に声を上げたのは、左右之助さんだった。
「ご隠居?」
「初音会の元会長ですよ」
「え」
初音会というのは、関西に唯一存在する大向こうさんの親睦組織のことだ。
大向こうさんというのは、歌舞伎の舞台中に「御苑屋!」「柏屋!」など良きタイミングで屋号などの声援を上げるヘビーなファンのこという。特に参加資格はないけれど、大向こうさんに声をかけてもらえるかどうかは役者さんたちにとって技量の資金石になってくるくらい、舞台と切っても切り離せない大切な人たちだ。
ご贔屓さんを兼ねている人たちもいて、長年大向こうを務めてくださる方たちの役者に対する評価は無視できない。
その協会の会長さん……
私はせいぜい挨拶をしたり、少し世間話をするくらいでそれほど親しくしたことはないけれど、役者やファンの人たちからどれほど尊敬されているかは想像に難くない。
既に会長職は退いているのだろうけれど、みんなの視線が彼に集中していた。
「日向子さんなら、私と一緒に観劇していたよ」
そんな中でも、ご隠居と呼ばれた彼はシレッとなんの淀みもなく言い放つ。
「う……で、でも」
桜枝さんが怯みながらも何か言おうとして──
「まだ、何か?」
あまりにも堂々とした佇まいに、それ以上何も言い返すことはできない。
ご隠居の加勢に、さらに進み出たのは左右之助さんだった。
「そもそも……もし刀を投げたのが妻だったとして、今日の舞台の危機的な状況を回避してくれたことに何も感じないのか?」
静かに諭す声が涼風のように吹き渡る。
「それを女だからと追求することが、今、必要か?その前に、自分のしたことに役者として何か思うところはないのか?」
きっと……左右之助さんは役者の皆さんやご隠居の加勢がなくても、こうして私を庇ってくれたに違いない。
それほど、彼の背中は大きく、私にとって頼もしいものだった。
左右之助さんの言葉に、桜枝さんの肩がついにがっくりと落ちた。
「ご隠居!」
彼に向かって真っ先に声を上げたのは、左右之助さんだった。
「ご隠居?」
「初音会の元会長ですよ」
「え」
初音会というのは、関西に唯一存在する大向こうさんの親睦組織のことだ。
大向こうさんというのは、歌舞伎の舞台中に「御苑屋!」「柏屋!」など良きタイミングで屋号などの声援を上げるヘビーなファンのこという。特に参加資格はないけれど、大向こうさんに声をかけてもらえるかどうかは役者さんたちにとって技量の資金石になってくるくらい、舞台と切っても切り離せない大切な人たちだ。
ご贔屓さんを兼ねている人たちもいて、長年大向こうを務めてくださる方たちの役者に対する評価は無視できない。
その協会の会長さん……
私はせいぜい挨拶をしたり、少し世間話をするくらいでそれほど親しくしたことはないけれど、役者やファンの人たちからどれほど尊敬されているかは想像に難くない。
既に会長職は退いているのだろうけれど、みんなの視線が彼に集中していた。
「日向子さんなら、私と一緒に観劇していたよ」
そんな中でも、ご隠居と呼ばれた彼はシレッとなんの淀みもなく言い放つ。
「う……で、でも」
桜枝さんが怯みながらも何か言おうとして──
「まだ、何か?」
あまりにも堂々とした佇まいに、それ以上何も言い返すことはできない。
ご隠居の加勢に、さらに進み出たのは左右之助さんだった。
「そもそも……もし刀を投げたのが妻だったとして、今日の舞台の危機的な状況を回避してくれたことに何も感じないのか?」
静かに諭す声が涼風のように吹き渡る。
「それを女だからと追求することが、今、必要か?その前に、自分のしたことに役者として何か思うところはないのか?」
きっと……左右之助さんは役者の皆さんやご隠居の加勢がなくても、こうして私を庇ってくれたに違いない。
それほど、彼の背中は大きく、私にとって頼もしいものだった。
左右之助さんの言葉に、桜枝さんの肩がついにがっくりと落ちた。
