「プロポーズに水をさして悪いけど」
高揚していた気持ちに、すっと鴛桜の声が水を差す。
「考える時間はそれほどなくてね」
「どうしてですか?」
「南座興行が年明けに始まるのさ」
「あ!」

南座の興行は重要なイベントの一つで、長い歌舞伎の歴史上途絶えたことがなく脈々と受け継がれてきたものだ。
「柏屋の娘と御苑屋の御曹司が結婚するってなれば、この興行で両家が協力するのは必須。場合によっては両者で役者を融通しあったり、演目を再検討したりするかもしれない。初顔合わせまでには中身を決める必要がある」
「確かに、それはそうですね……」
オタクだけに興行前にこんなニュースが出て、歌舞伎関係者がどれほど焦っているのか分かってしまった。

南座興行は私だって昔から欠かさず行っている。
自分自身が楽しみにしているからこそ、万全の状態で臨んで欲しいと思ってしまう。
「南座興行に支障が出るのはイヤかも」
「墓穴を掘るってこのことやな」
お母さんが呆れたように呟いた。
「あんた、自分の結婚と南座興行とどっちが大事なん?」
「どっちも大事だよおおおお」
「本当に面白い子だね」
お母さんと鴛桜が顔を見合わせる。
「日向子さん、納得いくように考えてください」
せめて左右之助さんが私を急かしたりするようなことはないのが救いと言えば救いだけど、本当は一刻も早く返事が欲しい状況なのはひしひしと感じられる。

「日向子さん本人がいいなら、私は両家の縁談に吝かじゃないよ。でも親父の隠し子ってのだけは困るんだけど、どうするんだい」
「それはきちんと説明できると思います」
左右之助さんが静かな口調で切り出した。
「僕と鴛桜師匠で結婚会見を開くのはどうでしょう?」
結婚会見……急かしはしないはずの左右之助さんと鴛桜の間で、斜め上の相談が始まる。彼の説明を聞くにつれて、鴛桜の表情が徐々に和らいでいった。

「なるほど……絶妙に嘘ではないねえ。左右之助、なかなか頭いいじゃないか」
「恐れ入ります」
さっきまで喧嘩ムード満載だったのに、鴛桜と左右之助さんが打ち解けているような気がする。何一つ口を挟むことができないまま、話題はもはや私と左右之助さんが結婚するかどうかを通り越して、結婚するにあたってどうしたら柏屋の醜聞を抑えられるか、その一点に移っていた。
え、でも、私、考える時間をもらったってことで……いいんだよね?