あなたに、キスのその先を。

「あ、あのっ、なのに……ごめんなさいっ。私、今、印鑑持っていないのです……」

 折角ここまで仕上がっている書類を、私のせいで完成できないことが、申し訳なく思えてしまって……。
 何だか悲しくてしゅんとしてしまいました。

 こんなにもお膳立てして頂いたのに、印鑑がないとか……不甲斐(ふがい)なくて泣きそうですっ。

 大人は普段から、身分証明書とともに認印(みとめいん)くらい持ち歩くものなのかも知れないです。私は本当に子供です。

 悔やんでも悔やみきれなくて、ボールペンをギュッと握りしめたまま涙目で修太郎(しゅうたろう)さんを見つめると、
「泣かないで、日織(ひおり)さん。僕が言わなかったのですからなくて当然です。それに……実は何の問題もないんですよ? サプライズだとそんなこともあるかもしれないから、とお義母《かあ》様がお借し下さいました」

 言って、「藤原」と刻印された印鑑を手渡されました。

「身分証明書は……まだ車の免許証をお持ちでない日織さんは、マイナンバーカードを常に持ち歩くようになさっているとお義母(かあ)様からお聞きしていますが……もしも今ないようでしたら……近いですし、出直しましょう」

 修太郎さんから言われて、婚姻届の提出に、身分証明書が必要だと言うことを初めて知りました。私は本当に世間知らずです。

「大丈夫です。二十歳(はたち)になった時にお母様からアドバイスされて……以来持ち歩くようにしています」

 それにしても……。この感じからすると、私以外の皆さんは今日こういう運びになることをご存知だったのでは?と思い至りました。