あなたに、キスのその先を。

「ももも……っ」
 もしもし、と言いたかったのに、余りにも緊張しすぎてわけの分からないことを言ってしまった。

『……日織(ひおり)さん?』

 息を呑む気配がした(のち)、電話口から健二(けんじ)さんの声が聞こえてきた。

 私が変な応じ方をしてしまったから、きっと戸惑われておられるんだ。そう思った私は慌てて「はい!」と答えた……つもりだった、のに。

「は、はひっ」
 またしても噛んでしまって……。自分で自分が嫌になる。

 と、通話口を通してクスクスと健二さんの笑い声が聞こえてきて。彼の声は笑い声も含めて、どなたかに似ている気がするのに、私はどうしてもそれが誰なのかを思い出せなくてもどかしくなる。

『いや、失敬(しっけい)。この感じは確かに日織さんだなぁと思ったらおかしくなってしまいました』

 ひとしきり笑い声が聞こえた後、健二さんがクスクス笑いながらそうおっしゃって。
 舌を噛んだり慌てたり。そんなのを聞かれて私らしいと言われても……。

 健二さんは私のことをそんなにはご存知ないはずなのに。

 そう思ったら何となく悔しくて、私は思わずぷぅっと膨らんで、
「私のことなんて何もご存知ないくせに」
 と、言ってしまっていた。

 修太郎(しゅうたろう)さんに同じことを言われたならば、「ごめんなさい」と素直に謝れていた気がする。

 でも、健二さんと私は面識がないも同然なのだ。

 そう思ったら、知ったようなことを言われたのがすごくすごく腹立たしくなってしまった。もっと言うと、相手だけが私のことを知っているような口振りなのが、何だかとてもモヤモヤして。

『貴女が思う以上に、俺は日織さんのことを知ってると思いますよ』

 でも、私の抗議の声に何らひるむことなく、それどころか幾分も悪びれた風もなく健二さんがそう返していらして。

「私は……健二さんのことを何も知りません。なのに……そういうのは何だかフェアじゃないです。私、対等じゃないのは……嫌です」

 今までならば、思っていても決して口には出来なかったであろう言葉。でも、私は、市役所で出逢った皆様のおかげで、少なからず変われたんだと思う。

 今まで健二さんがおっしゃることには……例えそのお姿が見えなくても、なんの疑問も抱かず、無条件で従う癖が付いてしまっていた。でも、それって本当はおかしいと思わないといけなかったんだ。