16
愛依子は日に日におかしくなっていった。PTSDは悪化する。過覚醒。人が恐い。声が恐い。音が恐い。情緒が不安定になっていった。外出することが難しくなり、家にこもるようになった。
フラッシュバックは、急にやってきた。昔を想起するのは、なにも外的刺激だけではない。過去を思い起こした自分、をきっかけに、あのころに戻ってしまう。
毎晩、犯される夢をみる。父を刺し殺した感触が、日に日に、強くなる。肉が裂けて血が溢れる。シャワーを浴びると、真っ赤な色をしている。刺した後、手を洗った記憶が、溢れる。
何度も何度も、手首を切った。死にたいわけではない。生きていたいわけでもない。ただ、楽になりたい。幸せになりたい。
余裕はない。たまに鏡を見ると、やつれた自分が可笑しくなった。伸びた髪。背中までかかる。こけた頬。乾燥した肌。浮きあがる紅い瞳が、血と情愛の人生を思い出させた。父と母から貰った顔。遺伝した瞳の色。切っても切り離せない。刺しても、殺しても、自分はあの父と母の娘。これは呪いだ。呪い殺されて、魂は暗夜に連れて行かれた。
私は亡霊。幽霊。そう。ここに居てはいけない。成仏しなければ。
一年前――。十月。
朝七時三十分。同棲するマンション。過去を思い出す荷物はほとんど捨てた。ワンルーム。テレビとベッド、本棚が一つ。小さなローテーブル。床はフローリング。絨毯は敷かない。
手首を切って、何度も真っ赤に染まったから。もういらない。「掃除が楽になるから」と二人で相談して捨てた。
閑散とした部屋。
愛依子はベッドにもたれて床に座っている。レースのカーテン。朝の陽射しを背に受けて。だらんと投げだした足。背が伸びた。今は何㎝だろう。最後に測ったのは中学三年生。あれから三年。大人になった。白い生足。傷跡は生きた証。
純白のワンピース。千尋に買ってもらったドレス。
伸びた髪。きめが細かい黒色。
千尋は居酒屋で夜勤の仕事をしている。
もうすぐ帰ってくる。
思いつめた顔。だけど、すっきりとして笑う。
――ガチャ……。
「めいちゃ~ん。ただいま~!」
玄関から千尋の声がする。千尋は大人になった。背が伸びて、今はもう、見上げるだけ。立派に仕事をしている。でも、甘えた声は、小学生のあのころと変わらない。
「……、めいちゃん?」
「ごめん、千尋……」
――グサッ……。
愛依子は、帰宅した千尋を刺した。腹部を一突き。千尋のTシャツに血が滲む。
「――ッ、……、め、めいちゃん……?」
「ごめん。千尋」
「う……、うぅ……」
千尋は腹部を抑えながら倒れ込む。血が溢れ出して、水たまりが出来る。
「千尋……、私……、もう生きるのが嫌になっちゃった。ごめん。もう……、耐えられない。私……、もう……、楽になりたいの」
「う……、うぅ、めいちゃん」
「だからね……、一緒に死んで? 私……、一人じゃ恐くて死ねないの。あはは、ごめんね。私、わがままで」
仰向けの千尋。馬乗りになって愛依子は笑う。嬉しそうにハキハキと話すが、零れ出す涙は透明だった。
「ぐす……、うぅ……、でもね、千尋。苦しまないように、ちゃんと、心臓を刺すから。ね? いいよね? ね?」
「う……、うぅ」
「分かってる! ほんとは、やだよね。私に、人生めちゃくちゃにされて、それで、殺されて……、分かってる! ほんとは私のこと恨んでるよね? でも……、ごめん。私、寂しかったんだ。ずっと……」
「めいちゃん……」
「寂しくて、一人じゃいられなかった。でも、方法が分からなくて。千尋に目をつけたの。遊びだったの。だけど……、千尋は優しくて……、親を殺してなんで頼んで……、私って本当最低だった」
「そんなことない……、よ、めいちゃんはいつだって優しくて……」
「優しいわけない! 私は……、最低で殺人鬼で悪魔だよ。生きていちゃいけない。死ななきゃいけない。でも……、一人では死ねない私のみちずれにしてしまうことをどうか許して」
――……グサッ、グサッ。
愛依子は自分の足を何度も刺した。勢いをつけて、一心不乱に刺した。
「あぐ……、う……、えへへ、これでもう私も逃げられない。もう、死ぬしかない……、ね」
愛依子の足から大量出血する。千尋に寄りかかって、体が重なり合う。
「め、めいちゃん……!」
「一緒に行こうね。向こうでも、ずっと一緒だよ。千尋」
「……、うん。分かった」
「ふふふ……、なにそれ」
「僕はめいちゃんのものだから、めいちゃんが望むんだったら、一緒に死ぬよ」
「千尋は優しいね。いつでも」
「違う……、優しいのはめいちゃんだよ」
「私の……、どこが?」
「だって……、めいちゃんは僕に生きる意味をくれた。僕の、太陽だから」
「太陽? 私が? こんなに汚れた私は、そんな美しいものじゃないよ。もっと暗くて、みすぼらしいもの」
「でも……、僕にとって太陽はめいちゃん」
「違う! そんなことない! そんなこと言わないで!」
「……、やだ。だって太陽は、一つだけだから」
――グサッ、グサッ。
愛依子は興奮して、千尋の腹部を何度も刺した。刺す度に、思い出すあの日の感触。でも、あの日とは違うものが胸に溢れてくる。
「違う! 私は……、千尋をこんな風にした最低な女なんだ。絶対に違う!」
「……う……、ゴホッ、ち、違わない……」
「なんで? なんで千尋はそんなこと言うの? どうしてなの?」
「……、好きだから」
「……ッ! 千尋……」
「僕はめいちゃんが大好き」
「千尋……」
「だから、ずっと太陽。僕の光だよ」
「……う……、ぐすぐす……、違う。違うよ千尋」
「違わない……」
「違う! 太陽は……、千尋なんだ。千尋が、私にとって太陽なの」
「……僕が?」
「そうだよ! 千尋はいつも優しくて、なにがあっても私の側にいてくれて、私の言うことをきいてくれて……、ずっとずっと、私を支えてくれた。千尋がいてくれたから、私は生きてこられたんだ」
「……めいちゃん……」
「だから、……、ごめんね。ごめん。千尋」
「なんで……、謝るの?}
「ごめん……、だってごめんしか言えない……、私……、ずっと嘘つきだったから」
「……、誤ら……ない……で」
千尋の声は儚くなっていく。出血は止まらない。愛依子と千尋の血液が、混ざり合う。どちらの血液なのか、もう分からないほど。
血の気が引いていく。顔色が悪い。今にも死にそう。でも、いい。すぐに私も後を追うから。と愛依子は千尋の頬に手を寄せる。
「私……、嘘つきだった。先生にもずっと言われてた。素直になれない。そうだよ! 私は……、傷つくことが恐くて……、自分の気持ちも認められないような、そんな、女。千尋をずっと悲しませてきた」
「……、なにを……、い……、って」
「でもね……、もう死ぬんだって思ったら、やっと言えるよ。ははは……、ごめん。ごめんね。ずっと言えなくて」
「……い……、ちゃん」
「私……、千尋のことがずっと好きだった。ずっと。ずっと。ずぅ~っっと。大好きだった」
「……僕、も……」
「でも……、言えなかった。千尋は私の奴隷。人形。なんでもいうことを聞いてくれる玩具。そう思っていないと、心が耐えられなかった。だって認めたら……、私の弱い部分もみんな、溢れだ出してきてしまうから」
千尋と出会う前。
愛依子はずっと寂しかった。虐待を受け、壊れてしまいそうな心。だけど、素直になることは出来ない。完璧で可愛い女の子を演じてきた。本当の自分を見せたら、我慢してきた感情の全てが、溢れ出してしまうから。そんな状態じゃ、父や母と一緒に暮らしていくことは出来ない。暴行やネグレクトに耐えられなくなってしまう。
だから嘘をついてきた。自分にも周りにも。
千尋は、そんな複雑な状態の愛依子が出した当面の結論。寂しさを埋めてくれる玩具を作って遊ぶ。そのための相手だった。
しかし時が経ち、いつでも優しい千尋に愛依子は恋をしていった。
始めて、自分を認めてくれた男の子。
父と母が死んでからも、愛依子は素直になれなかった。長年嘘をつき続けて、嘘をつかない方法が分からなくなった。
広瀬ゆず葉が周囲をうろつくことが、一層恐くなった。
千尋を奪わないで。
千尋がいなくなったら生きていけない。
千尋、ずっと私の側にいて。
私だけの千尋でいて。
「千尋大好き」
飾らない自分で、告白することが、出来なかった。
壊れてしまっても、それでも言えなかった。
「ごめんね……、千尋。私、嘘ばっかりで。本当は弱くて……、情けなくて、今にも泣き喚いて叫びたいくらいに……、カッコ悪い女なんだ」
「……、めいちゃん」
「でも、強がりすぎて、素直になれなかった。もっと広瀬さんみたいに、感情的に生きられたら、きっと違う結末があったんだと思う。でも……、……、でも、好きだよ。大好き! 好き! 大好きだから。一緒に死んで欲しい」
「……、うん……」
「大好き……」
「分かってた……、全部……」
「……?」
「めいちゃんが……、嘘つきだって」
「……、どういうこと?」
「だってめいちゃん……は、優しくて繊細で、弱い女の子だから。僕が守らなきゃいけない……」
「なにを……、言って」
「めいちゃん……、めいちゃんは、本当は泣き虫で、子供で、甘えんぼ」
「……、千尋?」
「そんなめいちゃんの……、心を癒やせるなら……、僕はお人形でもペットでもなんでもよかった」
「……、千尋なにを言って……」
「だってめいちゃんは僕に生きがいをくれたから。めいちゃんのためになれるなら、僕は幸せなんだ」
優木千尋は、長澤愛依子の本質を知っていた。長い付き合いである。いつも冷静で、賢い。大人っぽい愛依子の本質は、ただのか弱い少女であることは、分かっていた。
自分も似た境遇である。両親に虐待されていた毎日。子供のころ。
自分を抑圧して生きていた。妹だけでなく、自分を見て欲しかった。でも、素直になれない。言えない。誰にも甘えられない。孤独で寂しい少年。愛依子と同じだ。だから愛依子の気持ちがよく分かった。自分が支えたいと思った。
「千尋……、そんな……、私」
「いいよ。めいちゃんは……、強がりで、寂しがり屋で……、とっても優しい、僕だけのヒロイン……」
「千尋! 千尋……、ぐす……、千尋」
「でも……、今日みたいに、素直で子供みたいなめいちゃんも……、もっと見たかった……、なぁ」
「千尋……、ぐす……、ごめん。私……」
「いいよ……」
「ごめん……、ごめんなさい……」
「好き」
「大好き」
朝の陽射しがカーテンを真っ白に染めている。
真っ赤に染まったワンピース。
こぼれ落ちているのは、純白の光。
壊れた少女は少年にキスをした。
愛依子は日に日におかしくなっていった。PTSDは悪化する。過覚醒。人が恐い。声が恐い。音が恐い。情緒が不安定になっていった。外出することが難しくなり、家にこもるようになった。
フラッシュバックは、急にやってきた。昔を想起するのは、なにも外的刺激だけではない。過去を思い起こした自分、をきっかけに、あのころに戻ってしまう。
毎晩、犯される夢をみる。父を刺し殺した感触が、日に日に、強くなる。肉が裂けて血が溢れる。シャワーを浴びると、真っ赤な色をしている。刺した後、手を洗った記憶が、溢れる。
何度も何度も、手首を切った。死にたいわけではない。生きていたいわけでもない。ただ、楽になりたい。幸せになりたい。
余裕はない。たまに鏡を見ると、やつれた自分が可笑しくなった。伸びた髪。背中までかかる。こけた頬。乾燥した肌。浮きあがる紅い瞳が、血と情愛の人生を思い出させた。父と母から貰った顔。遺伝した瞳の色。切っても切り離せない。刺しても、殺しても、自分はあの父と母の娘。これは呪いだ。呪い殺されて、魂は暗夜に連れて行かれた。
私は亡霊。幽霊。そう。ここに居てはいけない。成仏しなければ。
一年前――。十月。
朝七時三十分。同棲するマンション。過去を思い出す荷物はほとんど捨てた。ワンルーム。テレビとベッド、本棚が一つ。小さなローテーブル。床はフローリング。絨毯は敷かない。
手首を切って、何度も真っ赤に染まったから。もういらない。「掃除が楽になるから」と二人で相談して捨てた。
閑散とした部屋。
愛依子はベッドにもたれて床に座っている。レースのカーテン。朝の陽射しを背に受けて。だらんと投げだした足。背が伸びた。今は何㎝だろう。最後に測ったのは中学三年生。あれから三年。大人になった。白い生足。傷跡は生きた証。
純白のワンピース。千尋に買ってもらったドレス。
伸びた髪。きめが細かい黒色。
千尋は居酒屋で夜勤の仕事をしている。
もうすぐ帰ってくる。
思いつめた顔。だけど、すっきりとして笑う。
――ガチャ……。
「めいちゃ~ん。ただいま~!」
玄関から千尋の声がする。千尋は大人になった。背が伸びて、今はもう、見上げるだけ。立派に仕事をしている。でも、甘えた声は、小学生のあのころと変わらない。
「……、めいちゃん?」
「ごめん、千尋……」
――グサッ……。
愛依子は、帰宅した千尋を刺した。腹部を一突き。千尋のTシャツに血が滲む。
「――ッ、……、め、めいちゃん……?」
「ごめん。千尋」
「う……、うぅ……」
千尋は腹部を抑えながら倒れ込む。血が溢れ出して、水たまりが出来る。
「千尋……、私……、もう生きるのが嫌になっちゃった。ごめん。もう……、耐えられない。私……、もう……、楽になりたいの」
「う……、うぅ、めいちゃん」
「だからね……、一緒に死んで? 私……、一人じゃ恐くて死ねないの。あはは、ごめんね。私、わがままで」
仰向けの千尋。馬乗りになって愛依子は笑う。嬉しそうにハキハキと話すが、零れ出す涙は透明だった。
「ぐす……、うぅ……、でもね、千尋。苦しまないように、ちゃんと、心臓を刺すから。ね? いいよね? ね?」
「う……、うぅ」
「分かってる! ほんとは、やだよね。私に、人生めちゃくちゃにされて、それで、殺されて……、分かってる! ほんとは私のこと恨んでるよね? でも……、ごめん。私、寂しかったんだ。ずっと……」
「めいちゃん……」
「寂しくて、一人じゃいられなかった。でも、方法が分からなくて。千尋に目をつけたの。遊びだったの。だけど……、千尋は優しくて……、親を殺してなんで頼んで……、私って本当最低だった」
「そんなことない……、よ、めいちゃんはいつだって優しくて……」
「優しいわけない! 私は……、最低で殺人鬼で悪魔だよ。生きていちゃいけない。死ななきゃいけない。でも……、一人では死ねない私のみちずれにしてしまうことをどうか許して」
――……グサッ、グサッ。
愛依子は自分の足を何度も刺した。勢いをつけて、一心不乱に刺した。
「あぐ……、う……、えへへ、これでもう私も逃げられない。もう、死ぬしかない……、ね」
愛依子の足から大量出血する。千尋に寄りかかって、体が重なり合う。
「め、めいちゃん……!」
「一緒に行こうね。向こうでも、ずっと一緒だよ。千尋」
「……、うん。分かった」
「ふふふ……、なにそれ」
「僕はめいちゃんのものだから、めいちゃんが望むんだったら、一緒に死ぬよ」
「千尋は優しいね。いつでも」
「違う……、優しいのはめいちゃんだよ」
「私の……、どこが?」
「だって……、めいちゃんは僕に生きる意味をくれた。僕の、太陽だから」
「太陽? 私が? こんなに汚れた私は、そんな美しいものじゃないよ。もっと暗くて、みすぼらしいもの」
「でも……、僕にとって太陽はめいちゃん」
「違う! そんなことない! そんなこと言わないで!」
「……、やだ。だって太陽は、一つだけだから」
――グサッ、グサッ。
愛依子は興奮して、千尋の腹部を何度も刺した。刺す度に、思い出すあの日の感触。でも、あの日とは違うものが胸に溢れてくる。
「違う! 私は……、千尋をこんな風にした最低な女なんだ。絶対に違う!」
「……う……、ゴホッ、ち、違わない……」
「なんで? なんで千尋はそんなこと言うの? どうしてなの?」
「……、好きだから」
「……ッ! 千尋……」
「僕はめいちゃんが大好き」
「千尋……」
「だから、ずっと太陽。僕の光だよ」
「……う……、ぐすぐす……、違う。違うよ千尋」
「違わない……」
「違う! 太陽は……、千尋なんだ。千尋が、私にとって太陽なの」
「……僕が?」
「そうだよ! 千尋はいつも優しくて、なにがあっても私の側にいてくれて、私の言うことをきいてくれて……、ずっとずっと、私を支えてくれた。千尋がいてくれたから、私は生きてこられたんだ」
「……めいちゃん……」
「だから、……、ごめんね。ごめん。千尋」
「なんで……、謝るの?}
「ごめん……、だってごめんしか言えない……、私……、ずっと嘘つきだったから」
「……、誤ら……ない……で」
千尋の声は儚くなっていく。出血は止まらない。愛依子と千尋の血液が、混ざり合う。どちらの血液なのか、もう分からないほど。
血の気が引いていく。顔色が悪い。今にも死にそう。でも、いい。すぐに私も後を追うから。と愛依子は千尋の頬に手を寄せる。
「私……、嘘つきだった。先生にもずっと言われてた。素直になれない。そうだよ! 私は……、傷つくことが恐くて……、自分の気持ちも認められないような、そんな、女。千尋をずっと悲しませてきた」
「……、なにを……、い……、って」
「でもね……、もう死ぬんだって思ったら、やっと言えるよ。ははは……、ごめん。ごめんね。ずっと言えなくて」
「……い……、ちゃん」
「私……、千尋のことがずっと好きだった。ずっと。ずっと。ずぅ~っっと。大好きだった」
「……僕、も……」
「でも……、言えなかった。千尋は私の奴隷。人形。なんでもいうことを聞いてくれる玩具。そう思っていないと、心が耐えられなかった。だって認めたら……、私の弱い部分もみんな、溢れだ出してきてしまうから」
千尋と出会う前。
愛依子はずっと寂しかった。虐待を受け、壊れてしまいそうな心。だけど、素直になることは出来ない。完璧で可愛い女の子を演じてきた。本当の自分を見せたら、我慢してきた感情の全てが、溢れ出してしまうから。そんな状態じゃ、父や母と一緒に暮らしていくことは出来ない。暴行やネグレクトに耐えられなくなってしまう。
だから嘘をついてきた。自分にも周りにも。
千尋は、そんな複雑な状態の愛依子が出した当面の結論。寂しさを埋めてくれる玩具を作って遊ぶ。そのための相手だった。
しかし時が経ち、いつでも優しい千尋に愛依子は恋をしていった。
始めて、自分を認めてくれた男の子。
父と母が死んでからも、愛依子は素直になれなかった。長年嘘をつき続けて、嘘をつかない方法が分からなくなった。
広瀬ゆず葉が周囲をうろつくことが、一層恐くなった。
千尋を奪わないで。
千尋がいなくなったら生きていけない。
千尋、ずっと私の側にいて。
私だけの千尋でいて。
「千尋大好き」
飾らない自分で、告白することが、出来なかった。
壊れてしまっても、それでも言えなかった。
「ごめんね……、千尋。私、嘘ばっかりで。本当は弱くて……、情けなくて、今にも泣き喚いて叫びたいくらいに……、カッコ悪い女なんだ」
「……、めいちゃん」
「でも、強がりすぎて、素直になれなかった。もっと広瀬さんみたいに、感情的に生きられたら、きっと違う結末があったんだと思う。でも……、……、でも、好きだよ。大好き! 好き! 大好きだから。一緒に死んで欲しい」
「……、うん……」
「大好き……」
「分かってた……、全部……」
「……?」
「めいちゃんが……、嘘つきだって」
「……、どういうこと?」
「だってめいちゃん……は、優しくて繊細で、弱い女の子だから。僕が守らなきゃいけない……」
「なにを……、言って」
「めいちゃん……、めいちゃんは、本当は泣き虫で、子供で、甘えんぼ」
「……、千尋?」
「そんなめいちゃんの……、心を癒やせるなら……、僕はお人形でもペットでもなんでもよかった」
「……、千尋なにを言って……」
「だってめいちゃんは僕に生きがいをくれたから。めいちゃんのためになれるなら、僕は幸せなんだ」
優木千尋は、長澤愛依子の本質を知っていた。長い付き合いである。いつも冷静で、賢い。大人っぽい愛依子の本質は、ただのか弱い少女であることは、分かっていた。
自分も似た境遇である。両親に虐待されていた毎日。子供のころ。
自分を抑圧して生きていた。妹だけでなく、自分を見て欲しかった。でも、素直になれない。言えない。誰にも甘えられない。孤独で寂しい少年。愛依子と同じだ。だから愛依子の気持ちがよく分かった。自分が支えたいと思った。
「千尋……、そんな……、私」
「いいよ。めいちゃんは……、強がりで、寂しがり屋で……、とっても優しい、僕だけのヒロイン……」
「千尋! 千尋……、ぐす……、千尋」
「でも……、今日みたいに、素直で子供みたいなめいちゃんも……、もっと見たかった……、なぁ」
「千尋……、ぐす……、ごめん。私……」
「いいよ……」
「ごめん……、ごめんなさい……」
「好き」
「大好き」
朝の陽射しがカーテンを真っ白に染めている。
真っ赤に染まったワンピース。
こぼれ落ちているのは、純白の光。
壊れた少女は少年にキスをした。

