朝10時、スーツに身を包み革靴を履いた男がプレジデンシャルスイートに入る。 年は二十四歳くらいだろう。 金縁の眼鏡をかけ、手にはブリーフケースを持っていた。

その男は他ならぬヘンリー・イェだった。 彼がタイム・グループ社長補佐の仕事に応募したのはそんなに前のことではなく、 すでに就職したとはいえ、タイム・グループの社長ジョン・シーに実際に会うのはこれが初めてだった。

ジョンはシー家の末っ子で、 聞くところによるとタイム・グループの権力を握る男らしい。 実際、彼は信じがたいほど無慈悲で、レキシンポート市の資産の半分は彼のものだった。

ヘンリー・イェはドアを押しあけると、バスタオルを着た背の高い男が浴室から出てくるのを見た。 ジョンは興味なさげにヘンリーを一瞥した。
「服」

「はい、 シー社長」
ヘンリーはすぐさまスーツを手配するため電話をかけた。

電話をかけながら、彼は乱雑なソファと散らかった服に目をやる。 ソファの上に女性ものの靴が見え、上司の背中にはうっすら赤い傷があった。

察するに、彼の上司は昨夜いい思いをしたに違いない。

ヘンリーは眼鏡を押しあげた。

ただちに、服が届けられた。

ジョンは鏡の前に立っていた。 彼の黒いズボンは足首までまっすぐ伸び、白いシャツを着ていた。 襟のボタンは外れていて、肌が少し見える。

ヘンリー・イェが見上げると、そこには整った顔と冷たく黒い目があった。

ジョンは唇をキュッと結び、髪を整え始めた。 鏡に映る自分を見つめながら、彼は満足そうに微笑み、服を隅々まで直した。

それを見てヘンリーは、「この男はとんでもないナルシストだぞ」と思った。

ジョンが服を着たのを見るとヘンリーはすぐさま背筋を伸ばし、
「シー社長、 お父さまから今夜ご帰宅なされるようにとのおことづてです」

「わかった、手配してくれ」

「はい、 他に何かできることはありますか? シー社長」
ヘンリーは尋ねた。 例えば、昨晩の女性の調査とか。

「昨日の女について詳しく調べてくれ、 彼女のことを全部知りたい」
ジョンは真実を知る必要があった。

ジェームズが彼女を寄越したのは単に外見が良かったからだ。しかしジョンは、彼女が理論を教え込まれたと言っていたのを思い出した。

彼は帰国したばかりなのだから、こういうことには注意するに越したことはない。

ヘンリーがニーナに関する情報を手に入れるのに対して時間はかからなかったが、驚いたことにたった半ページ分しかなかった。

ジョンは眉をひそめた。

ヘンリーが人脈を駆使してもこれしか情報を得られないとは、どうもおかしい。 何しろ、彼はハッカーなのだ。

ヘンリーが書類を手渡したとき、ジョンはイライラして唾を飲み込んだ。

彼は、誰かの情報を知りたいためにこんなに苛立つことはかつてなかった。

「ニーナ、二十歳。 L大学心理学部二年生。 両親不詳、兄弟姉妹なし。 既婚」

それで終わりだった。

彼女の名前にはどこか気になるところがあったが、ジョンはそれがどうしてかわからなかった。

けれども、彼女が既婚だと知ると、彼は目を丸くした。 シーツについた血を思い出して、ジョンは思わず眉をひそめた。
「既婚? あいつの夫は不能なのか?」