『すみません。私がご案内するなんて、ちょっと図々しいし、恋人さんにも迷惑かけちゃいますよね?あっ、もう・・』
そんなあたしの急な異変に下柳先生は驚きながらじっと見つめている。
その瞳にドキドキせずにはいられなくて。
多分、返答に困ってる
気遣いの人である下柳先生のことだから、旅先案内人に立候補したあたしにどう断ろうかって・・・
その証拠に彼は俯いているし
あ~しまった
せっかく楽しくおしゃべりしていたのに
何やってるんだろう、あたし・・・
「恋人は・・・」
『えっ・・・』
「・・・恋人はいないよ。今は。」
俯いたまま静かにその言葉を紡いだ下柳先生。
そのちょっぴり切なさが入り混じる声色にドキッっとしてしまったあたし。
でも、この後、どう声をかけていいのか
恋愛経験皆無と言ってもいいぐらいの恋愛音痴なあたしにはわかりません
そう戸惑っていると、下柳先生はおもむろに顔を上げた。
そしてあたしをじっと見つめて
「だから、もし良かったら神林さんの知っている高山を、案内して。」
あたしが嬉しくなるような言葉も優しい声で紡いだ。
今日の退院前訪問指導に参加させてもらったことで、憧れの作業療法士の存在からあたしの“絶対的”憧れの作業療法士という存在になった下柳先生
彼からお願いされる、しかも大好きな故郷である高山の案内をお願いされるなんて嬉しくないはずがない
地元民だけが知っているような名店も
高山からちょっと離れた飛騨国府の滝や飛騨古川の白壁土蔵街にある切り絵屋さん
夏だったら飛騨神岡のレールサイクリングも凄く楽しい
冬だったら飛騨萩原のリンゴ狩り、バスで奥飛騨温泉郷へ向かうのもいいかも!
きりがないくらい案内先が出てくるあたしは
『お任せ下さい!いつでもおっしゃって下さい』
「でも、国家試験前はお願いできないね。」
『じゃあ、国家試験に合格したら是非!』
さっき調子に乗りすぎたと反省したはずなのに自ら積極的に誘ってしまった。
でもそこはあたしのケースバイザーである下柳先生。
「国家試験前にまずは実習だね!神林さんはレポート書かなきゃいけないから、そろそろ帰ろうか。」
あたしがデザートのゆずシャーベットを食べ終わったのを確認した上でそう促してくれた。
楽しかったからここで終わるのが名残惜しいあたし
でも、こんな時間を過ごさせて下さった下柳先生に
『今日1日、本当にありがとうございました。貴重な経験ができて本当に感謝しています。今日のこのお食事もあたしにとっては貴重な経験です。』
「それは良かった。こちらこそ楽しかったよ。ありがとう。夜遅くなったから送るよ。」
深く頭を下げながら丁寧にお礼を伝えたあたし。
頭を上げた瞬間、下柳先生は穏やかに微笑んでくれてほっこりとこの楽しい時間が終わった。
・・・・はずだった。
「下柳!!!そいつは送らなくていい。」
白いスウェットパーカーに黒のダウンジャケットを重ね着
少し色褪せたビンテージデニム、足元はごつい革製ブーツを履いた黒い空気を纏った男のせいで、ほっこりしていた空気が一瞬にして消えた。



