姐さんが臨月に入ってから
頭は仕事を割り振って
極力家に居るようになった

だから夕方には

俺もお役御免になることが多い


その夕方が待ち遠しくて
ガキみたいに一日落ち着かない俺を


『桐悟、中学生か』


頭は揶揄うように笑った


どこか浮き足立った一日を過ごした夕刻


家に戻った俺は
窓の外を眺めながら胡桃の電話を鳴らした


一向に出る気配のないそれに
もしかして番号を間違えたかと切る

確認をして
もう一度通話をタップした


今度はすぐに繋がった

けれど黙ったままの胡桃


その間が切なくて


「胡桃」


呼びかけると、僅かに息を飲む気配がした


「声を聞かせてくれないのか」


胸の苦しさに目頭が熱くなる俺と同じように
胡桃も泣いているようだった


「泣くな、胡桃」


「涙、拭ってやれねぇ」


一方的に話しながら
耳から聞こえるのは耳心地の良い音


「それ、波の音か?」


胡桃は海を見ているのだろうか
空を見上げて染まりゆく綺麗な色に魅入る

「夕日が綺麗だな」

(・・・は、、い)

久しぶりの胡桃の声は
やっぱり泣き声で震えていた

抱きしめてやれない距離で
俺ができることはなんだろう


「胡桃」

(・・・はい)

「鯛めし、美味かった」

(・・・はい)

「あの三日は全部食べた」

我ながら言い方を間違えたと
言い訳みたいなことを口走る

「いつもは酒が優先だからな」

(・・・食べないと、身体に悪いです)

それに反応してくれることが嬉しくて

「胡桃のなら食べられる」

困らせてみる

(千代子さんのご飯も美味しいのに)

「胡桃のが良い」

そう言ったあとで少し間があいて
聞こえてきたのは呆れたような笑っているような胡桃の声だった

(ワガママですね。頭さんは)

・・・頭さん?

「フッ、なんだそれ」

(ん?)

それに気付いていないあたり
俺のことをそう呼んでいたのだろう
だから敢えて、話を伸ばす為にそこを突く

「“頭さん”って」

(あ、の・・・陽治さんが)

見事に慌て始めた胡桃から
他の男の名前が出てきて苛立つ

「あ゛?」

(・・・っ)

ビビらせてどうする、俺

「あ、悪りぃ。陽治の名前呼んでんのか?」

すぐさまフォローに回るも

(はい、あの、誠司さんも)

別の名前まで出てきた

「チッ、まぁ良い。陽治がどうした?」

(陽治さんが“頭”って呼んでいたのと
陽治さんが“家事番頭”だったので
もしかしたら何とか頭って頭が付く役職なのかと・・・)

「クッ、それで“頭さん”な」

(はい)

「穂高桐悟《ほだかとうご》だ、胡桃、呼んでみろ」

(穂高桐悟さん)

「桐悟で良い」

(いえ、私の方が歳下なので
呼び捨てには出来ません)

「フッ、まぁ良い」

(はい)


弾むような声を聞いたところで
部屋に入ってきた蒼佑と視線が合った

静かに頷く姿に、仕事が入ったこと知る

「また電話しても良いか?」

(はい)


胡桃から聞いた『いってらっしゃい』を胸に留めて


緊急であろう仕事へ急いだ


・・・


こんな毎日が続くと思っていたのに

弁慶の名前を名前を出した途端

それ以降、胡桃の携帯電話の電源が入ることはなくなった


・・・何故だ


柚真と俺の犬は龍神会の会長から


『お前ら、生き物を飼って優しさを学べ』


そう言われて譲り受けた兄弟犬で

考えても答えの出ない状況に
俺の脚は自然と柚真の病院へと向いていた