チュンチュンと囀る鳥の声で目が覚める。ああ、これが朝チュンというやつか。感慨深い。などと言っている場合ではない。私は裸のまま寝ていたことに気付いた。なんとも形容しがたい疲労感が全身に蓄積されている。それに下腹部もなんだか痛い。けだるい体を何とか起こして近くに落ちていた下着を拾い上げる。何かの液体で濡れていたそれは昨日の情事を思い出させて、一人顔を覆った。
 そういえば社長はどこへ行ったのだろうか。私の横に姿が見えない。今日は日曜だから何もないはずだ。少しだけ寂しい気持ちになる。いや、寂しい気持ちとはなんだ。これはただの契約。後継を作るだけの婚姻。初夜を迎えたからと言って優しくしてもらうなんて烏滸がましいのだ。
 そんなことをふわふわと考えていたら喉が乾いた。ベタつく体をずるずるよベッドから下ろす。身なりを軽く整えて、ぺたぺたとリビングへ向かった。
 がちゃりと扉を開けると、そこにはコーヒーを飲みながらパソコンに向かっている社長がいた。
「ああ、琴子。おはよう。」
「ぁ、しゃ、ちょう、おはようございます…」
 挨拶をしようと口を開いたが、そこからは掠れた声しか出てこなかった。自分でも驚いてしまう。
「す、すみません…喉が枯れてしまって…」
「いや問題ない。…まあ、昨日は無理をさせてしまったからな。」
 その言葉に一気に顔が熱くなる。あんな恥ずかしい声を社長に聞かれたと思うと、穴があったら入ってしまいたい。
「体は大丈夫か。」
「え、ええ…問題ありません。」
「その割には随分辛そうだが。」
「いや、本当に、その、問題ありません。」
 社長が私に気遣うように近づいてくるので、それがとても恥ずかしくなって、私は逃げるようにキッチンへと向かう。たしかに腰どころか体全体がきつい。なんとも形容し難い疲労に倒れてしまいそうだ。
 とにかく水。水を飲もう。ふらふらと冷蔵庫を開けてお茶を取ろうとした。その時、手からペットボトルがするりと抜けた。
「あ、」
 しかし零したと思ったペットボトルは後ろから伸びた手にキャッチされる。パッと振り返るとそこには社長がいた。
「全く…」
「す、すみません。」
「やはり体が辛いんだろう。昨日は俺が無理をさせてしまったな。すまない。琴子は初めてだったのに。」
「なっ…!」
「朝食は俺が簡単に作っておくから、お前はまだ寝ていろ。」
「ですが、」
「いいから。…今ここでもう一度してやってもいいんだぞ。」
 そう言われてしまい、体が固まってしまう。そんな私の様子が面白いのか、社長はくすくすと笑いながら私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「できたら起こす。寝ていろ。」
 そんなふうに笑う社長に、胸の奥が熱くなってしまい、私は言われた通りにベッドへと戻っていった。

ーーー

 ゆさゆさと体を揺すられる。まだなんとなく眠っていたい気がするが、少し目を開けた。
「起きたか。」
「社長…すみません、寝てしまいました。」
 社長が僅かに眉を顰めた。
「…昨日言った事は忘れたのか。」
「昨日…?」
「まあいい。それより朝食だ。」
 ついて来い、と言われアヒルの子のようによたよたと後ろをついて歩く。リビングにはコーヒーの匂いと芳ばしいパンの匂いが満ちていた。促されるまま席に着く。
「雑なものだが…まあ食べてくれ。」
「は、はい!いただきます。」
 一口噛むと小麦の香りが口いっぱいに広がった。美味しい。もう一口、もう一口と次々と口の中へと食べていく。
 ふと顔を上げると端正な顔つきの社長がいる。やはり自分の勤めている会社の社長と一緒に食事を摂るなんて緊張する。それだけでなく、昨日はそれ以上のことまでしたのだと、体にある無数の赤い痣と気怠さが訴えていて、気恥ずかしい。すらりと伸びた綺麗な指がカップを摘んだ。その指が私に触れていた。新聞を見つめるあの視線が焦げる程の熱を孕んでいたと思い出すだけで顔から火が出そうだった。
「そんなに美味いか?」
「はへ!?…っぐ、ごほ、ごほっ!」
 突然声をかけられ、サンドウィッチが変なところへ入った。
「お、おい大丈夫か?」
 ごほごほと咽せる私の背を社長が摩る。水を飲めと差し出されたカップの中身を飲み干し、どうにか落ち着いた。
「はぁ、はぁ…す、すみません。」
「全く…もっとゆっくり食べろ。サンドウィッチは逃げない。」
「はい…すみません。」
「…まあいい。」
 数秒の沈黙の後、社長が言った。隠しているのだろうが僅かに眉が顰められた。なんだか機嫌が悪い気がする。私は居心地が悪くなって、半分になったサンドウィッチを一気に頬張った。
「俺はこれから仕事だから、お前は休んでいろ。」
「え!?ですが、」
「有給を当ててある。問題ない。」
「な、」
「いいから。今日は休んでろ。いいな?」
 ぎろりと睨みつけられてしまっては、もう何もいうことはできなかった。私は渋々と小声で了承したのだった。