はじめて食べたひとに感謝したくなる食べ物が大体好きです。そう言ったら伝わりますか?
 山原はそう言って、マスクの下から指を入れて顎を掻いた。
 コーヒーはブラックしか飲まないと言っていたのに、今日は微糖しか飲まないと言っていた。微妙に嘘をつかれたかっこうになるが、話す相手によって無糖派か微糖派か変えているうちに自分でも意味がわからなくなったのかもしれないし、本当に微糖しか飲まなくなったのかも知れなかった。
 山原はふと、「なんですかねあれ」と屋上の隅に黒い塊が落ちているのを見つける。何かの死体だとおれは思う。一人だったら見に行かなかったが、山原が見に行ったので着いて行く。
「うわっ。これ、カラスかな」
 声に嫌悪感を滲ませる山原の背中越しに見ると、それは確かにカラスの死骸のようだった。
 山原はその黒い塊を革靴の爪先で蹴り、裏返そうとする。あーあ、死体蹴りなんかしてバチが当たっちゃうなこれは。
 止めようともせずその光景を眺めていると、カラスはばさばさと動いた。死体ではなかったのだ。
おれは驚いて飛び退いた。
 山原は悲鳴を上げながら蹴り飛ばそうとする。が、それはもはやカラスというよりは黒い煙のように山原の脚に背中にまとわりつき、やがて山原自身の姿を見えなくした。おれは後退りをした。
 黒い煙が薄れていくと、そこにいたはずの山原はいなくなり、代わりにただの一羽のカラスがいた。カラスと目が合い、おれは咄嗟に顔を隠した。
 これは天罰なのか。おれも山原のように消されるのか。生きているのか死んでいるのか。そんなことをぐるぐる考えていると、カラスが鳴いた。おれは思わず「うわ」と叫び声を上げる。
 おれは身構えたが、カラスはおれを無視して悠然と飛び去って行った。

 山原はゴミ捨て場で目覚めた。握りしめていた缶コーヒーの缶に、蟻が集まっていた。なぜこんなことになっているのか、直前の記憶がない。
 ただ、「イッツイリュージョン」という調子外れの声が、なんとなく耳に残っているばかりだった。