月のひかり


 もしかしたら、久御坂の側から本当のことは聞いていて、同じことを「被害者」である紗綾に、当人が話したがらないのに話させる必要はない、と同情的に判断されたのかも知れない。
 追及されなかったのは、孝が訴えないと言ったからでもあるだろう。紗綾も当然、大ごとにはしたくないという部分ははっきり主張した。
 どんな判断をされたのか正確にはわからないが、結果的には希望を通してもらえたと言える。事件が新聞やテレビに大きく出ることはなく、いくつかの報道でも名前までは出なかったようだ。翌日以降、「向こうの大学」で何かあったらしいという話題は何度も聞かされたものの、当事者として質問責めにされたりはしなかった。
 だが、身内の間ではそうもいかない。原因を知って以来、紗綾の母親は日々隣家へ、もしくは病院へ足を運び、何度も頭を下げた。そのたびに保田家、つまり孝の両親は気にする必要はないと言ったが、その繰り返しは昨日まで続いていた。
 事件そのものよりも、自分たちにとって大変だったのはむしろそちらの方だった。
 十数年のご近所関係に、自分のせいでわだかまりができてしまった気がする。おばさんたちが本気で「気にしなくていいから」と言っているとしても、紗綾の母親はそうは思えないだろうし、紗綾自身だって同じだ。
 本当に、申し訳ないと思っている。だが事件当日と、母親に連れられて行った一度以外は、隣家へも病院へも足を運んでいない。母親に怒られても、どうしても行く気にはなれなかった。
 孝が退院したと聞いた昨夜、明日は大学サボってでも行ってきなさいと厳しく言われてしまい、さすがに逃げようがなかった。だがどのみち会わなければならないのだから、と今日は覚悟を決めて来た。
 そして出てくる際、お詫びと退院祝いと称して、やたらと袋を持たされた。中には総菜の類もあり、そういうのはおばさんが用意済みではないかと言ったのだが、母親は無駄になってもいいから持っていけと譲らなかったため、しかたなく持ってきた。
「それ、当たってる。昨日持ってきたやつで冷蔵庫すき間なし」
 と苦笑いする孝に「そうだよね」と、半ば一人言のように紗綾は返す。
「だからさ、礼っていうのもなんだけど、ちょっと何か持って帰れよ。見舞いでもらった物が結構残ってるし」
 その見舞い品の何割かは母親からのものに違いない、と考えて、また気が沈む。孝がこれまでと同じふうに、たぶんそうするように努力して接してくれているのも、辛かった。
 本当にいたたまれなくて苦しいけれど、言うべきことを言わずに帰るわけにはいかない。さらに困らせる言葉でしかないかも知れないし、つきつめれば自己満足にすぎないだろう。それでも、本当の気持ちは伝えたかった。最後に。
「聞いてる? さーや」
 と問いかけられたのをきっかけに、紗綾は顔を上げた。こうちゃん、と呼んだ声音と浮かんでいるであろう表情に、孝がやや目を見張る。