彼女にしてやれることはもう、一つしか思いつかなかった。だからここに来たのだ。
相手の名前は聞いた。顔は一度だけ、しかも正面から見たのではなかったが、おそらく会えばわかると思う。
苦労して直接的な質問をなるべく避けて、相手の行動パターンも聞き出した。妙に詳しく聞きたがる孝に、紗綾は途中で不審を示したものの、今後同じような奴に引っかからないように注意点を考えないと、と言うと、辛そうな顔をしながらも質問への答えは素直に口にした。
注意すべきと考えたのは本当だが、彼女を追いつめたかったわけではない。逐一思い出させることで結局はそうなってしまったようだが……話が終わった後の紗綾の表情を思い出すと、自己嫌悪に陥る。
意図していることが成功するかどうか、客観的にはかなり怪しい。だから知らせたくなかったのだ、少なくとも行動前には。
──市立大学の正門前に立ち始めて、一時間が過ぎようとしている。今日はもちろんスーツではなく私服だが、学生だったのは四年以上前だし、現役に見せようとするだけの余裕も今の自分には足りていないと自覚していた。
そもそも、出入りする学生の顔をいちいち真剣に見ている様子だけでも違和感があるだろう。実際、こちらに怪訝な目を向けていく学生も、時々いる。それを見越して守衛の詰所からは見えにくい位置に立ったものの、視線を向けられるたびに感じる居心地悪さはどうしようもなかった。
だが今さらやめるわけにはいかない。少なくとも空が明るいうちは待つつもりでいる。今日行き会えなければ、明日も来ようと思っていた。そのために最初から有休は三日取っている。
時計が二時半に近づいているのを確認し、顔を上げた時。構内から正門に近づいてくる男子学生三人に気づき、そして注目した。正確にはその中の一人に。
記憶にある、紗綾の「彼氏」によく似ていた。これまで、似ていると思える人物には一度も遭遇していない。その三人を待ち構え、声をかけるタイミングをはかる。
友人であろう他の二人と談笑しながら歩いてくるその人物は、門の周りにいる人々には全く注意など払っていなかったらしい。呼び止めた瞬間、そこに人がいたということにまず驚いたというように目を丸くし、次いで眉が寄せられた。
「久御坂洋司くん?」
「……そうだけど。誰」
尋ねると、さらに不審そうに眉間にシワが寄る。他の二人も同じ表情になった。
「池澤紗綾、知ってるよね」
「いけざわ……?」
かなり長い間首をひねった後、ようやく眉間のシワを消し「ああ」とうなずいた。だがその顔は、思い出した相手に対して、何の興味も感じていなさそうに見えた。



