途中、勇気を出してほんの少しだけ振り返ると、拾い残した皿の破片を再び集めている、孝の背中が見えた。紗綾が見ていることには気づいていないようで、こちらを振り返りはしない。
 それにほっとする気持ちの方が、片付けさせていることを悪いと感じるよりも強かった。
 ……だがこの後、どんな顔をしていたらいいのだろう。向かい合った時に、とても目を合わせる自信がない。
 一瞬だけ、けれど確かに触れ合った唇を、意識せずにはいられないから。


「──保田? おい」
 いきなり背中を叩かれながらの呼びかけに、孝は集中から意識を引き戻される。
「……なんだよ、なんか用事か」
 声の主が、いつの間にか真後ろにいた土居であることを認め、やや迷惑な思いでそう聞くと、土居は心外だというふうにむっとした表情を見せた。
「立て替えの交通費、申請し忘れてた分なんとかしてくれって言ってただろうが。ほら」
 と、周囲に人がいないことを確かめてから土居が差し出したのは、明細が貼り付けられた茶封筒。
 月初め、三営業日以内が期限の立替交通費申請書を提出し忘れていたため、どうにか申請を通してもらうよう、週末に頼んでいたのだった。
「あ、ああそれか。悪い」
 一転してバツの悪さを感じつつ、孝は封筒を受け取る。別にいいけど、と呟くように言った土居は、にわかに表情をあらためてこちらを見つめた。
「…………?」
 顔に何かついているだろうか、と頬に手をやりかけた時、土居がこう言った、
「おまえ、ちゃんと寝てるか?」
「え?」
「言っとくけど、さっき呼んだの三回目だぞ。二回呼んでまるっきり気づかないから、ここまで来たんだけど」
 ここ、と言いながら今いる所、つまり孝の席の真後ろを示す。……確かに全く気づいていなかった。
 土居はさらに言う。
「正直、近寄んのちょっと迷ったんだよ。なんか、異常に集中してるみたいに見えたからさ──取り憑かれたみたいなって言うか。顔色もあんま良くないし」
 ためらいがちに指摘された症状に、今度はいくらか後ろめたさを覚える。それは自覚していた……というより、半分わざとやっていることだったから。
「……そっか、悪かったな。そこまでしてるつもりじゃなかったけど、確かに集中しすぎて聞こえてなかった。ああ、一応は寝てるし、三時間ぐらいは」
「なにやってんだよ、毎晩」
「いや、単に寝つけないだけで……不眠症かもな」
 とっさにそんなことを言ったが、本当は違う。