しばらくは掃除に集中して考えずにいられたのだが、空き缶集めをしている時にいきなり尋ねられ、また憂鬱さが戻ってくる。
 聞いてきたのは、休憩の時に向かいに座っていた経済学部の子である。今、他の子たちは少し離れていて、相手のひそめた声が届く範囲にはいない。
 さっきのことといい、見られたくない瞬間に目ざといなと思ったが、答えないとかえって勘ぐられるかも知れない。だから正直に話す。
「サークルの会合出た時に会った人。席が隣だったから、ちょっと話したりしたの」
 しばらく間を空けた後、相手は物足りなさそうに首をひねった。
「……それだけ?」
「それだけだよ。なんで?」
「だって、そうは見えなかったから。今日参加してるってことは、向こうの大学の人だよね」
 駅を挟んで反対側の市立大学のことを、こちらでは「向こうの大学」と呼んでいる。紗綾がうなずくと、相手は勢いづいて言った。
「向こうからはうちって、堅く見えるから敬遠されてるって噂があるよ。聞いたことない? ……とにかく、近いのにカップル成立率は低いって。だからああいう人はめずらしいんじゃないかな」
 ふうん、と相づちを打ちはしたものの、めずらしかろうがどうだろうが、紗綾にとっては興味のないことだった。それを察したのか、相手も拍子抜けしたような表情になり、その後は黙って掃除に戻ってしまった。
 ちょっと悪かったかなと一瞬思ったが、本音では興味をなくしてくれてありがたかった。
 やっぱり、まだあきらめてくれていないのだろうか──考えるたびに少し気が重くなる。
「向こうの大学」の男子学生、久御坂(くみさか)と知り合ったのは、平井先輩に頼まれて出た例の会合の時。最初からずいぶん気さくに話しかけてきて、会合の責任者との話で席を外すことの多かった宮本先輩に代わり、いろいろ教えてもくれた。
 それは嬉しかったし、感謝もしている。……けれど数日後にメールでいきなり「僕と付き合ってみる気ない?」と言われてからは正直、戸惑いと憂鬱を感じざるを得ない。
 そういう気持ちにはなれないと、最初にちゃんと返信をした。なのにこの一ヶ月強、メールが二日に一度は来る。毎回ではないが、こちらに忘れさせないタイミングで、付き合ってほしいと書いてくる。
 今月の会合には行かなかったから、顔を合わせるのは今日が二度目。なのに向こうはしっかり紗綾を覚えていて、笑顔まで向けてきた。
 悪い人ではなさそうだが、彼と付き合う気は当然ながら全くないのだ。だから最初に断ったのに──そして、以後その点に関しては無視し続けているのに、懲りずにいるらしいのは困ってしまう。
 それに……さっきの表情、笑い方は変に馴れ馴れしすぎる感じがして、あまり気分がよくなかった。たとえ好きな人がいなかったにしても、久御坂氏と付き合うのは二の足を踏むような気がする。