「けど、なんでまたうちの母親に教わってんの」
 数えるほどしか機会はなかったが、池澤家で食事をごちそうになったことはある。紗綾の母親も料理は結構うまかったはずだ。
「──うん、うちのお母さんも料理上手だけど、仕事が仕事だからわたしとは休みの合う時があんまりなくって。それに実は、お母さんの味付けだとちょっと物足りない時あるんだよね。おいしくないわけじゃないんだけど。わたし的には、おばさんの味がちょうどいいなって思ってたから」
 話しているうちに、紗綾の表情に少しずつ笑みが戻ってくる。声にも本来の明るさが出てきた。
 彼女はよくしゃべる。子供の頃からそうで、よくまあ次から次に話題が出てくるものだと、感心してしまうほどだった。
 今も、孝の家で最近「ごちそうになった」夕食がとてもおいしかったこと、その食事の席で話題になった、小さい頃の紗綾へと話は続いている。──元看護師の母親に憧れて自分も看護師になりたがったけど、注射嫌いで泣く泣くあきらめた幼稚園時代。だが看護や介護に対する関心はずっと持っていて、結果的に今の進路を選ぶきっかけになったこと。
 孝の母親も似たタイプなので、二人が一緒にいると、会話がとめどなく続く。そのうち母親が余計な思い出話を始めて居たたまれなくなるのがパターンだったので、長く付き合ったことはない。
 だが実のところ、彼女たちの「おしゃべり」自体は嫌いではなかった。孝も父親もどちらかと言えば口数は多くない。だから実家で三人暮らしだった頃は、会話の最初から最後までほとんど母親が一人でしゃべっているだけだった、ということもよくあったのである。
 そのせいか、母親と同じレベルで会話している紗綾の存在は、ある意味では新鮮なものだった。女の子が家にいるという空気感の違いもあったろうし、母親のいつもより楽しげな様子は、目にもあきらかだった。
 そして今のように、母親のいない場で紗綾と顔を突き合わせて話したことは、実家にいた間ではほとんど覚えがない。かなり昔、彼女が宿題を教えてほしいと言ってきた際の数回程度だろうか。
 その時とは状況も違うし、年数も経っている。
 だからなのか、こんなふうに会話、というか時折相づちを打ちながら紗綾の話に耳を傾けている時間は、母親の時とはまた違う意味で新鮮に思えた。
 浮き沈みが少々激しい傾向はあるものの、表情がよく変わる様を見ているのは面白い。口調の軽快さは周りの空気も明るくする勢いがあり、聞いているこちらも同じように楽しい気分にさせられる。
 ……彼女とはそんな時があったかな、とふと思った。性格が暗いわけではなかったが、お互い口数のレベルは同じ程度だった。だから二人してしゃべらない時もあったし、それを居心地悪いと感じた覚えも、特にはない。