「しばらく、離れて暮らしませんか?」
朝からそう話を切り出したのは、薫さんだった。
「え、どうしてですか? ……わたし、何か気に障ることしましたか?」
「違うんです。今は仕事に集中したいからです」
薫さんはわたしを避けるように視線を下げている。
もしかして十和子さんの登場で、わたしのことが邪魔になったのではないかと思った。
そこで嫌な考えを吹き飛ばすように頭を振った。こんな風じゃだめ。薫さんを信じるって決めたんだから。
「わかりました。その間は友達の家にでも行ってきます」
「いえ、ホテルを取るのでそこで暮らしてください」
わたしは躊躇いつつも頷いた。
けれど、胸の中には不安しかなかった。
「でも、十五日からは二人で旅行、行けますよね?」
その日は薫さんと旅行に行く約束をしていたので連休を取っていた。
「はい。それはもちろんです」
薫さんは軽くわたしの唇をついばんだ。
「行ってきます」
こういう甘い朝をしばらく過ごせなくなるのだと思うと、残念な気持ちになった。
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土曜日、一番目のお客さまは須藤さまだった。
「樫間さん、聞いてくださいよ。この間、彼ったら、わたしが風邪を引いたときに、家までお見舞いに来てくれて、お粥を作ってくれたんですよ。男の人に料理してもらったことなんて初めてだからびっくりしました。あとゼリーとかも買ってきてくれたんです」
「優しい人ですね」
「わたしのこと会うたびに可愛い、可愛いって言ってくれるんです。プチお姫さま気分なんです」
須藤さまは幸せいっぱいに笑った。
「それから、付き合うなら結婚前提がいいって言われたんです。その言葉が嬉しくて、わたしもお料理とかがんばらなきゃって思ったんです。あと、結婚しても仕事は続けようって思うんです」
「どうして気が変わられたんですか?」
「彼が、わたしが仕事をしている姿を見るのが好きって言ってくれたんです。だから結婚しても子供できるまでは働くことにしたんです」
ようやく運命の王子様に出会えて、須藤さまは幸せそうだった。でもわたしの中に幸せを見せつけられてやっかむ心が生まれた。今のわたしには須藤さまを心から祝えない。最低だ。その邪念を振り払うようにわたしは施術に集中した。
「先輩、今日は元気ないですね」
須藤さまが帰ったあと、カウンターに立っているとき、小沢さんに言われた。
「そんなことないよ。いつも通り元気だよ」
これ以上嫌な女になりたくなくて、わたしは無理をして笑った。
「緑川さんと喧嘩でもしたんですか?」
言われて動揺してしまう。
「やっぱり喧嘩しちゃったんですね」
「……違うよ。喧嘩にもならないから問題なの」
わたしは深々とため息をついた。
