「わたしはお見合いの席であの人に一目ぼれして、結婚したの。いい奥さんになるつもりだったの。あの人に相思相愛の人がいるなんて知らなかったわ……。薫にも可哀想なことをしたって思ってるけど、いまさらよね」
お酒に酔ったのか、響子さんの顔がほんのりと赤く染まった。
「……ほんと、嫌になるわ……」
それだけ言うと、響子さんは眠ってしまった。肩を揺すっても起きないので、その身体に毛布をかけて、わたしは部屋に戻った。
朝起きると、リビングに響子さんの姿はなかった。
まさか出て行ったのかと思っていたら、玄関に響子さんの草履が置かれていた。そっと和室を覗くと、わたしが昨夜敷いた布団にくるまれて響子さんが眠っていた。ほっとして朝の準備を始めた。パンと卵焼きとウィンナーだけの朝食を済ませた。同じ食事を用意してラップをかけ、響子さんに「仕事に行ってきます」と置手紙をして家を出た。
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その日は早番だったので、夕方の六時過ぎには職場を出ることができた。
今夜は何が食べたいか連絡しようとして、初めて響子さんの番号を知らないことに気づいた。響子さんのことが心配になり、白金の家へ急いだ。電車を乗り継いで帰ると、響子さんは襦袢姿のまま、テレビを観ていた。彼女に似つかわしくないだらしないかっこうで、髪もぐしゃぐしゃだったが、無事な姿を見てほっと胸をなでおろす。
「あら、お帰りなさい」
響子さんはまるで我が家にいるような反応を見せた。まさか、このまま居座り続ける気かと若干不安になった。
「そういえば、あなた働いているんだったわね。何をしているの?」
「ネイリストです」
「ネイリスト?」
響子さんが怪訝な顔になる。どうやらネイリストという職業を知らないようだ。わたしは自分の爪を響子さんに見せた。
「爪のおしゃれです」
響子さんは顔をしかめた。
「嫌ね。あなたの爪、派手だわ」
シアホワイトとグリーンの二つの色を溶け込ませたグラデーションのジェルネイルはたしかに、響子さんの年齢を考えると派手かもしれない。
「いろいろな組み合わせがあるんですよ。下は十代、上は八十代のお客様がいらっしゃることもあります」
わたしは自分のネイルを紹介しているSNSを響子さんに見せた。するとだらしない恰好でテレビを観ていた響子さんの目の色が変わった。一枚、一枚写真を眺めながら、響子さんの頬が楽しげに緩む。少女のように瞳孔を弾ませていた。途中でその手が止まった。
