和室から出てきた響子さんは、真顔でわたしを見つめると、こう言った。
「紫さん、お酒持ってきて」
わたしが冷蔵庫から缶ビールを出そうとすると、ソファに座った響子さんが怒鳴った。
「ワインの一番いいやつを持ってきてちょうだい!」
ワインには詳しくないと言える雰囲気ではなかった。
「……はい」
わたしは薫さんのワインセラーから、適当に赤ワインを選び、詮を抜いた。グラスに赤ワインをなみなみと注ぐと、今度は「チーズを持ってきてちょうだい」と言われ、冷蔵庫に走った。薫さんの好きなブルーチーズがあったので、ナイフで切ってお皿に盛るとローテーブルに置いた。
ぐいっと勢いよくワインを飲んだ響子さんは、深々とため息をついた。
「まったく、あなたったら嫌な嫁ね」
「は?」
「いびりがいのない嫁なんて欲しくなかったわ」
この間、たしか薫さんの幼馴染の十和子さんという完璧な女性と結婚させるつもりだったと言ってなかったっけ? と思いながらも、再びグラスに赤ワインを注いだ。
「……あなたも飲みなさいよ」
そう勧められた。明日は仕事だから断ろうと思ったけど、響子さんがあまりにも投げやりになっていたから、付き合うことにした。
「まったく馬鹿げた話よね。愛人の子供を引き取りたいなんて。とっくに縁が切れてると思ってたのに、まさか子供がいたなんてね」
上品な指でチーズを摘まむと響子さんはまたため息をついた。
「夫の愛人はね、わたしと結婚する前からの恋人なの。でもあの人は、わたしの家の婿養子に入ることが決まっていたの。わたしのお父様が結婚前に関係を清算させたらしいんだけど、結婚した後もずっと続いてたの。ほんと呆れるわ」
響子さんはワイングラスを揺らしながらふっと笑った。
「……こういう話、薫はしないでしょう?」
「はい。……初めて聞くお話です」
「わたしはね、あの子に嫌われているの。夫の浮気を知ったわたしが荒れて遊びまわって、あの子をずっと放置してきたから、わたしのことを恨んでいるの」
それは薫さんには最も縁遠い言葉に思えた。
正直、本人がいない場所で自分が聞いていい話なのか判断がつかない。
けれど、ひとつだけわかったことがある。
薫さんの立場でお父さんに自由に嫁を選んでいいと言われていることがずっと不思議だったが、その裏にはこういう家庭の事情があったのかと思い知らされた。
