「泊まっていけないの?」
お見舞いを終えて一階のロビーまでくると、お母さんは心細そうに言った。
「ごめん、明日、仕事だから」
「そうよね。しかたないわよね。……気を付けて帰るのよ」
「うん」
帰りの新幹線は行きとは別の意味で気づまりな感じがした。
わたしの家は川崎にあった。品川駅で降り、京浜東北線に乗り換えようとしたところで、こちらを見つめる人の気配がした。
「緑川さん?」
新幹線の改札のすぐそばに緑川さんがいた。ふんわりとした笑顔を見た瞬間、なぜかほっとして気が緩んだ。
「どうしてこんなところに?」
「すみません。昨日の話を聞いていたので、たぶんそろそろ帰ってくるころだと思ってあなたを待ってたんです」
「心配してくれたんですね。ありがとうございます」
わたしの瞳に涙がこみ上げる。緑川さんが指の腹で涙を拭ってくれた。
「お腹、空いてませんか?」
わたしは半泣きのまま笑った。
「すごく空いています」
緑川さんに案内されて、品川駅構内にある地酒がうまいと評判の居酒屋に入った。
お通しの茄子のお浸しと冷酒を飲みながらわたしは言った。
「お父さん、デュマの万年筆、とても喜んでくれました。ありがとうございます」
「お役に立ててよかった。お父さんの具合はどうでした?」
「見た目には元気なんです。でも前より痩せていて昔のような覇気がなくなっている気がしました。もう六十歳近いので年を取って当たり前ですよね」
緑川さんが空になったわたしのおちょこにお酒を注いでくれた。わたしはお礼を言って、お酒を口にした。
「お父さん、言ってたんです。わたしの花嫁姿を見るまで死ねないって。そのとき、思っちゃったんです。わたし、このままでいいのかなって。今まで仕事が好きで結婚なんて考えたこともなかったけど、老いていく両親のことを考えると気持ちが焦ってしまって」
わたしはため息をついた。
