「今日は別の用事もあって来たのよ」
「別の用事?」
わたしは荷物の中から小ぶりの箱を取り出してお父さんに渡した。
「ちょっと早いけど、お誕生日おめでとう。わたしとお母さんからだよ」
お父さんが目を瞠った。
「おお、そうか。悪いな」
「開けてみて」
包装を解いて蓋を開けたお父さんは感嘆のため息をついた。
「モンブランの万年筆じゃないか。高かっただろう?」
「大丈夫。知り合いに安く売ってもらったから。その万年筆、アレクサンドル・デュマって言うの」
わたしは緑川さんから聞いた、デュマの万年筆にまつわる話をお父さんに披露した。
「ほう。そりゃいい」
お父さんは上機嫌で万年筆を眺めている。柔らかく微笑んでいるので目じりに皺が寄った。この間、帰省したのはお正月だったけど、そのときよりお父さんは痩せていて、ひとまわり小さくなったように見えた。病気に関係なく確実に老いはお父さんの命を縮めていると感じた。
「早く退院して仕事でそれ使ってよ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
お父さんは万年筆を箱にしまうと、床頭台の上に置いた。お母さんが言った。
「紫、わるいんだけど、売店でプリン買ってきてくれない。お父さんが好きなやつ。忘れてきちゃったの」
「わかった」
病室を出たわたしは、エレベーターで一階に降り、売店に向かった。甘党のお父さんが好むプッチンプリンを購入すると、病室まで急いだ。個室の扉を開けようとしたとき、お父さんの声が聞こえてきた。
「俺は紫の花嫁姿を見るまで死ねんな」
「そうよ。だから頑張ってちょうだい」
わたしは昨日、室善でお母さんが言った言葉を思い出していた。
『紫にいい人ができたら、お父さんにとって一番の誕生日プレゼントになると思ってたの』
今までお父さんはわたしの結婚に対して何かを言ったことは一度もなかったので、本心を聞いてやるせない思いが募った。
